運び屋【7点/10点満点中_家庭も金もどっちも大事】(ネタバレあり感想)

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人間ドラマ
人間ドラマ

(2018年 アメリカ)
金銭的に行き詰まり麻薬カルテルの運び屋となった90歳の老人が、稼いだ金で家族との関係を修復しようとするドラマ。

試写会で見て参りました。イーストウッドの前作『15時17分、パリ行き』が全然面白くなかったので本作には不安もあったのですが、こちらはきちんと面白くなっていました。

7点/10点満点中

■実話を元にしたフィクション

2014年の『ニューヨーク・タイムズ』の記事が本作の元になっていますが、設定には手が加えられています。まず実際の人物レオ・シャープが第二次世界大戦に従軍したのに対して、本作の主人公アール・ストーンは朝鮮戦争の従軍兵。またレオが運び屋業を開始したのが2009年に対して、本作の舞台は2017年となっています。加えて、レオの私生活は不明だったので、イーストウッドと脚本家が創作したと言います。本作の脚本を担当したのは『グラン・トリノ』でデビューしたニック・シェンク。『グラン・トリノ』については、脚本を渡されたイーストウッドが友人から「いい脚本だがポリティカルコレクトネスに欠ける」と釘を刺されたのですが、翌日にその友人に対して「これをすぐ始めるぞ」と言って製作を開始したというちょっと良い話も残っています。

徹底した事実の再現に徹し、役者を使わず当事者を起用するという前代未聞の領域にまで達した『15時17分、パリ行き』とは対照的に、本作は実話を元にしたフィクションとなっています。史実へのアプローチ方法が正反対の両作を同年にリリースしたという点を興味深く感じました。

■老人とマフィアのコラボが面白い

ヨボヨボのイーストウッドが筋肉隆々のヤクザに囲まれている様は、奥さんの友達に囲まれた加藤茶の誕生会を見ているようで、いろいろ辛かったです。

ただし、朝鮮戦争上がりの上に、老い先短く死への恐怖が減退している頑固ジジィだけあって、アールはヤクザからどれだけ脅されようが軽口を叩き続け、一向にペースを変えません。そのうち、若いヤクザ達がアールのペースに飲まれていき、アールを支配しようとした者が、逆に彼から人生のアドバイスを受ける側になる。人種差別的な発言も平然とする頑固ジジィと、若いラテン系ヤクザたちの関わり合いは、本作における見せ場の一つとなっています。

■イーストウッドの人生訓

幸せや絆は金で買える

運び屋をする前のアールは家族、特に娘から忌み嫌われており(演じるのはイーストウッドの実の娘のアリソン)、娘の家の敷居を跨ぐことすら許されていませんでした。しかし犯罪で金を稼いで孫娘の結婚式費用の一部を負担したことで家族としての列席を許されたし、孫娘の学費の面倒を見たことで奥さんとの会話もできるようになりました。そして、奥さんが亡くなる数日前という本当にギリギリのところで家族関係の修復にも成功し、彼は幸せを金で買えたのです。

もしアールが運び屋を引き受けずに破産した頑固ジジィのままであれば、家族からソッポを向かれ続けたことでしょう。犯罪で得た金によって、アールは人生をやり直せました。兎角汚いものとして扱われがちな金の良い部分を描いたという点に、本作の意義を感じました。

しかし金があっても時間は戻せない

いくら金で家族関係の修復ができても、失敗によって無駄にした時間だけは戻って来ません。特に90歳を過ぎたストーン夫妻にとっては、いくらこの時点でやり直せたところで後先は限られています。もしこれを数十年前に気付いていれば、人生はより豊かになったのではないかというアールの後悔が観客にも重くのしかかってきます。

苦手なことから逃げてはいけない

では、なぜ若き日のアールが家庭に背を向けたのかと言うと、彼は家庭生活が苦手で家では役立たずでしかなかったので、よりうまく振る舞える外の世界に居場所を求めたからだと説明されます。

これを単純に受け取ると、家庭を大事にしろという教訓に聞こえるのですが、私はより広く構えた教訓のような気がしました。例えばアールと逆のパターンだって考えられます。家族を愛することには長けているが、職業人としては失格で家族を養う力を持たないビッグダディみたいな男がいたとします。これはこれでダメですよね。

男にとっては家庭も仕事も大事。どちらかが苦手だからと言って、もう一方に逃げ込むようなことをしていれば、いつかそのひずみが自分に返ってくるという教訓として受け取りました。イーストウッド先生の人生訓はとてもタメになりますね。

■DEA捜査官のパートが面白くない

ただし、アールを追う捜査官側の描写が全然面白くないんですよね。これが作品のボトルネックになっていました。

ブラッドリー・クーパー、マイケル・ペーニャ、モーフィアスの3人を揃えているので何か描きたいことでもあるのかなと思いきや、全然何もないんですよ。マイケル・ペーニャに至っては、「セリフあったっけ?」っていうくらいの空気ぶりでした。『ナルコス:メキシコ編』での熱血DEA捜査官の印象が強い時期だったこともあり、何もしないペーニャには落胆させられました。

このパートについては、イーストウッドは丸々放棄していたのかとすら思いました。面白くないのは分かってるので、とりあえず画だけでももたせるようにスターを配置したのかと。

イーストウッドの歳を考えると、そういった割り切りも仕方ないのかなという気もしますが。御年88歳、何があってもおかしくない年齢なので、一本の企画に時間をかけすぎると未完のままってこともありえます。だから彼の映画はいつもスピード勝負で、脚本を作り込んでいる余裕なんてありません。骨子となる部分さえ出来上がればプロダクションに突入。そもそも百点満点は狙っていないので、不出来な部分があってもごめんなさいねという姿勢なのかもしれませんね。

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