(2019年 日本)
山崎貴監督による戦争映画を笠に着たビジネス映画。戦艦大和の建造にかかる予算はウソじゃないか、もっとかかるんじゃないかという疑惑に挑む天才数学者の姿を通して、現代にも通じる問題提起がなされる良作。
感想
戦争映画の皮を被ったビジネス映画
『永遠のゼロ』(2013年)のレビューで山崎貴監督の感傷的な演出が苦手と書いたところ、コメント欄にてカトケンさんより「こちらはいい感じですよ」とオススメいただいたので、鑑賞してみた。
カトケンさんのおっしゃる通り、説明過多、くどすぎる感情表現という山崎監督の悪癖がほとんどなく、さらっと見やすい大人の映画に仕上がっていて大いに楽しめた。
舞台は1933年。新造艦の建造にあたり、従来の大艦巨砲主義を踏襲した巨大戦艦の建造を主張する嶋田少将(橋爪功)&平山技術中将(田中泯)のグループと、これからは空母の時代になると主張する永野中将(國村隼)&山本五十六少将(舘ひろし)のグループが対立していた。
コンペでは価格優位な巨大戦艦派が優勢だったが、彼らの出してきた見積書はどうにも胡散臭い。
そこで山本五十六は、数学の天才としてその名を轟かせる櫂直(菅田将暉)を少佐に任命し、巨大戦艦派の出してきた見積書のインチキを暴かせることにする。
本作は太平洋戦争を背景とした歴史ものだが、そのテーマには現代にも通じるものがある。
オリンピック、万博等の建築費・運営費は、当初予算をはるかに上回ることが定例化している。
だからといってこれらのイベントを全部やめてしまえと極端な主張をするつもりはないが(大阪万博は楽しみにしている)、純粋に「なぜここまで派手な予算超過を起こすのだろうか」と不思議に思うことはある。
こうした不透明な意思決定や予算執行のカラクリを暴こうとするのが本作の骨子である。
なので戦争映画の外観をとりつつも、内容はビジネス映画に近い。
隠そうとする者と暴こうとする者との攻防戦はスリリングだが、その争いはあくまで水面下でのことなので、すべてのプレイヤーはポーカーフェイスを保っている。
思ったことを何でも大声で絶叫する『永遠の0』のようなキャラクターは一人もいないので、とてもとても見やすかった。
主演の菅田将暉は稀代の天才数学者役を飄々と演じて見せる。
そこに堅物の相棒 田中少尉(柄本佑)が加わり、二人の間では化学反応が起こる。
この国に失望と落胆しかしていなかった櫂は、まっすぐな田中との関わり合いの中で熱い使命感を抱くようになり、また一介の帝国軍人に過ぎなかった田中は、櫂からの影響で組織に対する健全な猜疑心を抱くようになる。
この二人のドラマをセリフで説明せず、流れで見せきった山崎貴監督の手腕には特筆すべきものがある。こんなにうまい監督とは思っていなかったので意外な驚きだった。
ついに「鉄の使用量から軍艦の建造費を求める公式」に辿り着いた櫂と田中は、海軍大臣が出席する決定会議の場を乗っ取り、戦艦派の急先鋒だった平山技術中将に負けを認めさせる。
この展開はまさに痛快の極みだったが、ここで終わらないのが本作の凄いところだ。
驚きのラストと、多少の違和感(ネタバレあり)
コンペでの勝利が見えてきた山本五十六は、念願の空母を造れるとあってウキウキ状態。
「もしも対米開戦した場合、真珠湾とパナマ運河を潰せば優位に立てる」という作戦を立て始める。
あれあれ?対米開戦慎重派のはずの山本少将がそんなに戦争に積極的なの?と呆気にとられる。
その頃、巨大戦艦派で作劇上の敵対者だったはずの平山技術中将は、櫂に接触していた。平山の主張を要約すると、ざっとこんな感じ↓
- 何をしようが対米開戦はするし、アメリカを敵に回せば我が国は確実に負ける
- 問題は負け方を知らないことだ。とことんまで戦えば、それこそこの国は亡ぶ
- そこで帝国海軍の象徴たる巨大戦艦を作り、その敗北を見せることで、退け時を作るのだ
悪だと思われてきた平山中将こそが国の将来をもっとも憂いていたことが分かるという、善悪逆転のラスト。これには「一本取られましたな!」とびっくり仰天だった。
本作製作時点で原作は未完であり、これは映画版固有のラストのようだが、よくぞこんな話を思いついたものだと、脚本も執筆した山崎貴監督の手腕には脱帽するしかなかった。
今までは軽視して来たけど、山崎貴監督の映画人としての能力には心底恐れ入った。
・・・と鑑賞中には大満足だったんだけど、こうして感想を書くにあたって内容を振り返ると、少なからず引っかかるものがあった。
戦艦大和の敗北によって日本国民の目を覚ましたいということが平山の主張だったが、戦艦大和が撃沈されたのが1945年4月のことで、終戦はその4か月後。しかも原爆を落とされてのことだったので、大和は終戦の判断にあんまり関係なかったような気が。
そもそも大和って極秘裏に建造された戦艦で、帝国海軍の象徴的な存在にされたのは戦後のことだったりする。
私は大和が建造された呉出身なので、建造中には近くを走る電車は目隠しをされるなど、相当な厳戒態勢が敷かれていたという話を、昔からいろいろ聞かされてきたし。
加えて、舞台となる1933年の時点で対米開戦をリアルな脅威として捉えていることも、なんかおかしいなと思ったりで。当時のアメリカは伝統的な孤立主義を引きずっており、こちらから手を出さない限りは何もやってこない可能性が高かった。
1939年の日米通商航海条約破棄や、1941年の石油禁輸措置とABCDラインといった段階を経て、対米開戦せざるを得ない状況が徐々に出来上がっていったわけで、1933年の時点でアメリカと戦争するしないの話をしているのはおかしいかなと。
『永遠の0』の感想でも書いたけど、日本が対米開戦して負けるという結果を見てきたかのようなキャラクターが何人もいるので、歴史ものとしては不完全な仕上がりとなっている。
映画としては面白くて8点以上かと思ってたんだけど、後から振り返ると違和感もあるので、評価は7点ってことで。
コメント