(2019年 アメリカ)
1930年代前半。ボニーとクライドがテキサス州を中心に強盗と殺人を繰り返していたが、州警察は成果を挙げられずにいた。これに苛立ったファーガソン州知事は、伝説的なテキサス・レンジャーのフランク・ハマーを雇うことにする。
6点/10点満点中 ドラマ性を高めようと欲張らなければ良い映画になったのに
まずは用語の整理
ボニーとクライドとは
1932年から1934年にかけてテキサス州を中心とした広範囲で強盗と殺人を繰り返し、13人を殺したバカップル。『俺たちに明日はない』をはじめとして映画や音楽などの題材にされることが多く、たいていの場合は美化されて表現されます。
その要因としては、彼らが暴れ回った時期は世界恐慌下にあり、庶民にとって目の敵だった資本家や行政を手玉にとったことが痛快と捉えられたことや、メディアが未発達で事件現場の凄惨さまでが伝えられず、義賊的な面だけが拡散したことが考えられます。
テキサス・レンジャー
米国テキサス州公安局 (Texas Department of Public Safety) に属する法執行官。アメリカ最古の州法執行機関であり、ハイウェイ・パトロール (Texas Highway Patrol) とともに、州公安局の中核を担っている。
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元は西部開拓時代に入植者を先住民から守るための自警団的組織でした。西部開拓時代には自治体のない地域にまず人が住み始めるということが多く郡保安官や自治体警察ではカバーしきれなかったことや、アメリカは自衛という風土が根強いために、このような民間の武装組織が発達したようです。
その後、国境警備のために軍の指揮下に入り、州内の一般的な警察活動も行うようになって次第に公共機関としての性格を強めていき、1935年に州公安局が設置された際にその傘下へと入りました。
テキサス州民にとっては非常に特別な存在のようで、プロ野球チーム「テキサス・レンジャーズ」の由来ともなっています。また、テキサス州法には”テキサス・レンジャーに関係する部門はこれを廃止してはならない”との条文が存在しています。設置について書かれた条文はともかく、廃止を禁じる条文という特殊なものは初めて見ました。
隊員達もその職務に大変な誇りを持っており、ブーツ、カウボーイハット、ガンベルトは代々先輩から後輩へと引き継がれ、制服はないものの、今でも西部開拓時代を思わせる姿で職務にあたっています。
ハイウェイ・パトロール
西部や南部では、非法人地域でも郡保安官による法執行体制が強固で、また未開発で人がほとんど住んでいない地域も多かったことから、州警察局の必要性は薄かった。しかしモータリゼーションに伴って街道上の治安維持が求められるようになったことから、交通警察を主体として発展したのがハイウェイ・パトロールである。また州によっては、ハイウェイ・パトロールが非法人地域の唯一の警察組織であることから、広く犯罪捜査の任務を与えている場合もある。
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『ザ・テキサス・レンジャーズ』という邦題に対して、原題は『The Highwaymen』。これはテキサス・レンジャーを嫌うファーガソン州知事が、元レンジャー隊員を名目上はハイウェイ・パトロールとして使うとした本編中のやりとりを反映したタイトルです。
スタッフ・キャストについて
脚本を書いたのは1987年の『ヤングガン』で知られるジョン・フスコ。彼はNetflixオリジナルドラマの草分け的作品である『マルコ・ポーロ』のクリエイターでもありますが、同作によってNetflixは2億ドルもの損失を出したとも言われています。そして監督はジョン・リー・ハンコック。この人は、赤字映画の歴史を語る際に必ず挙げられる2004年の『アラモ』の監督であり、本作は赤字コンビで頑張っています。
主演はケビン・コスナーとウディ・ハレルソン。本作で二枚目俳優の代名詞だったコスナーの腹がデップリと出ていた様はちょっと衝撃だったのですが、実在の人物になりきるために体重を増やしたようですね。ウディ・ハレルソンはテレビドラマ『TRUE DETECTIVE/二人の刑事』に次いで相棒捜査官役が板についています。ケビン・コスナーの方が暴力刑事で、ハレルソンの方がなだめ役という点には時代も感じさせられましたが。
コスナーは1993年の『パーフェクト・ワールド』で、ハレルソンは1994年の『ナチュラル・ボーン・キラーズ』で逃亡者役を演じていました。捜査官が過去の自分を追う物語においては、若い頃に逃亡者役を演じた経験のある俳優は重要だったのかもしれませんね。
なお、『パーフェクト・ワールド』は本作の監督ジョン・リー・ハンコックが脚本を書いた作品でした。また、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』はボニーとクライドにインスパイアされた映画でした。
惰性で生きていた初老が生きがいを取り戻す物語
2度メンツを潰された男達
本作の主人公は2人。テキサス・レンジャーの伝説的な隊長・フランク・ハマー(ケビン・コスナー)と、彼の相棒メイニー・ガルト(ウディ・ハレルソン)です。
ただし、時のテキサス州知事ファーガソン(キャシー・ベイツ)がカウボーイ気取りで行き過ぎの多いテキサス・レンジャーを大変嫌っており、本作の年代においてテキサス・レンジャーは一時的に解散させられていました。よってハマーとガルトは隠居状態。奥さんが金持ちのハマーは悠々自適だったものの、出戻ってきた娘と孫と3人での貧乏暮らしを送るガルトはなかなか悲惨。そして二人に共通するのは、家では役立たずでしかなかったということです。
そんなところに、彼らを強制的に引退させたファーガソンから、ボニーとクライドの件で手詰まりだから協力して欲しいとの打診がハマーにありました。ただしテキサス・レンジャーの名義ではやって欲しくないので、ハイウェイ・パトロールとしてやってくれと。過去にテキサス・レンジャーという名誉と居場所を奪った上に、あなたらのスキルは欲しいけどテキサス・レンジャーの名前でやられては困るという二重の侮辱を受けたことから、ハマーはいったん依頼を断りました。
燃え上がる闘志には逆らえず
しかし、ボニーとクライドがまた人を殺したというニュースをラジオで聞いて、ハマーのレンジャー魂にボッと火が点きました。テキサス・レンジャーは自警団組織がその起源であり、地域の平和のためであれば無給でも立ち上がる男達の集団なので、自分の力で為せる正義が目の前にあるのなら居ても立ってもいられなくなる性分なのかもしれません。
加えて、家での役立たずぶりで自己嫌悪に陥るくらいなら、もっとも得意なことをやっていたいという老人の生きがい問題も絡んでいたと思います。パっともう一花咲かせるチャンスが来たんだから、メンツなどにこだわらずに飛び込んで行こうと。金に困っていないハマーはともかく、貧乏なガルトも薄給なこの仕事に飛びついて行ったことからも、彼らは生きがいを求めていたことが伺えます。
最近、同じくNetflixで観た『トリプル・フロンティア』にはなかった、いったん現役を退いた戦士が闘争本能を取り戻す瞬間、損得関係なく戦場に出て行きたいんだという抑えきれない衝動がきちんと描かれていた点にはとても満足できました。戦士の物語とはこうでなければいけませんね。
ロートルが目にモノ見せる痛快さ
こうして現場に出たはいいものの、当初、彼らは現場でまともに扱われませんでした。
転機は次なる殺人現場であり、FBIが式次第通りの鑑識活動をしている中で、ハマーとガルトは痕跡から手際よく事件当時の状況を読み取っていき、周囲にいたエリート気取りの若造達を驚愕させました。ここからハマーとガルトが捜査の先頭を走り始め、若いFBIや警官達はその後を追うのみとなっていきます。
続いて、どこで犯行を行うのかという線で犯人を追うFBIに対して、どこに戻ってくるのかという線で追いかけるハマーとガルト。ここでもハマーとガルトが予測を的中させ、ボニーとクライドにニアミスするところにまで迫っていきます。
こうした華麗な逆転劇は、類型的ながらもなかなか燃えましたね。
テキサス・レンジャーの原罪
正義に燃えるテキサス・レンジャーですが、彼らにも負の歴史はありました。
一晩で50人を殺した男として半ば戦争講談的に語り継がれた結果、ハマーは伝説のテキサス・レンジャーと呼ばれるに至ったのですが、その武勇伝の実態がハマー自身の口から語られます。テキサス・レンジャーは当初、白人入植者をアメリカ先住民から守ることを、次に隣国から来るメキシコ人から白人を守ることを目的とした組織だったため、彼らはあくまで白人から見たヒーローなのです。かつてハマーが殺した50人には無抵抗の者や子供も含まれており、彼らには虐殺者という側面もありました。
血の履歴を背負った者が、若い殺戮者を追いかける。このハマーの告白をきっかけに、映画は単純な善vs悪から、業を背負った老人が自分自身の影を追う物語へと変貌していきます。
敵とみなした人間を深い考えもなしに殺し、その行為が大衆から英雄的に称賛されるという点で、若い頃のハマー/ガルトと、現在のボニー/クライドは共通しています。ハマー/ガルトがボニー/クライドに見ているのはかつての自分達であり(だからこそ、彼らはボニー/クライドの一手先を読むことができたのでしょう)、過去に犯した過ちを清算するかの如く若い犯罪者たちと向き合います。そして、ラストで過剰なまでに放たれる銃弾の数は、彼らの後悔を物語っているのだと思います。
後半がうまく転調していない
こうして書くと良い映画だったような気もするのですが、実際にはテキサス・レンジャーの原罪と犯罪捜査を映画的に融合させることには失敗していました。
彼らの過去を観客にも痛切に感じさせる部分が、ケビン・コスナーの告白だけなんですよね。この告白を機に、観客の側で彼らの一挙手一投足の捉え方がまるっきり変わるということがなく、悲しい過去の告白がスポットのイベントに終わっており、この場面が終わるとまた元の捕り物になってしまうのです。しかし観客の側ではテキサス・レンジャーが安易に称賛できない連中だという情報が中途半端にインプットされているので、前半のように彼らの行為に拍手喝采することもできない。
シリアスに振り切るならもっとしっかりと後半を転調させるべきだったし、観客に捕り物を楽しませたいのであれば、過去の告白など不要でした。ロートルが邪悪な若者を倒す話のままでよかったのです。
まとめ
いったんは引退勧告された初老コンビが成果を出すという痛快さや、どんな冷遇を受けても現場に立ちたがる男達の闘争本能といったものの切り取り方は良かったものの、後半における暴力の考察部分が蛇足だったので、締まらない印象となっています。もうちょっとで良作だったのに。
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