アーノルド(ドキュメンタリー)_体も器も大きな男シュワルツェネッガー【6点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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実話もの
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(2023年 アメリカ)
我らがアーノルド・シュワルツェネッガーの人生を辿るドキュメンタリー。題材が良すぎるので面白いのは面白いけど、彼のファンなら既知の情報も多く、サプライズは少なかった。また俳優業や出演作品への言及が少なすぎて期待からやや外れた内容だった。

感想

てらさわホーク著『シュワルツェネッガー主義』とほぼ同一内容

日曜洋画劇場で育てられた世代にとっては神に等しき男 アーノルド・シュワルツェネッガー。かつて、地上波ではひっきりなしに彼の出演作が放送されていた。

そんなシュワルツェネッガー自身が出演し、過去のフッテージも交えながら75年間の人生を振り返るのが本作『アーノルド』である。

かつてのライバル シルベスター・スタローンや、付き合いの長い監督ジェームズ・キャメロンも登場し、出演者はなかなか豪華。

本編は「アスリート」「映画俳優」「政治家」の3部構成となっており、映画人としてのシュワルツェネッガーしか知らない方にとっては驚愕の内容だろう。

ただしファンであれば既知の事実も多く、私にとっては新しい驚きが少なくて残念だった。てらさわホーク著『シュワルツェネッガー主義』の内容でほぼカバーされているのだ。ホーク氏のリサーチ力が凄まじかったということでもあるのだが。

20代ですでに成功者だった

第二次世界大戦敗戦直後のオーストリアの田舎で産まれたアーノルド・シュワルツェネッガーは、15歳当時に映画館で見かけたボディビルダー兼俳優レッグ・パークの威風堂々たる肉体に惹かれて、筋トレを開始する。

偶然にも、シュワの住む地域はオーストリアのボディビルダーが合宿などで集まる場所で、シュワ少年は早速その輪の中に入れてもらうことにする。15歳そこそこでアスリートの中に入っていけるとは、随分と物怖じしない性格だ。

国内トップ選手達にトレーニング方法を教わったことで、自らもボディビルチャンピオンとなったシュワは、国際大会に活躍の場を移す。

そして国際大会でも目立つ存在となったシュワは、かつて憧れたレッグ・パークとの面識を持ち、彼に直接稽古をつけてもらうまでの間柄となる。

必要な場面で必要な人物に出会うという強運と、一度得たご縁を有効活用したおすというリレーション構築能力。これが人生を通じてのシュワの武器となる。

まもなくシュワは、ボディビル界では知らぬ者のいない偉人ジョー・ウィダーから「アメリカに来ないか」という誘いを受け、二つ返事でアメリカ西海岸へと渡る。相変わらず物凄い行動力だ。

ウィダーはサプリメントやトレーニング器機販売でも成功した実業家としての一面も持っており、シュワはボディビルダーとしての活躍の場のみならず、ビジネスの薫陶もウィダーから受けた。

ボディビルダーとしての頂点を極めたシュワは、その絶頂期に競技からの引退と俳優業への転向を表明するのだけど、一転して鳴かず飛ばずの日々でも問題なかったのは、ウィダー直伝の不動産ビジネスですでに財を成しており、金には困っていなかったからだ。

この時点でまだ20代。本編は1/3も経過していない。なんちゅー濃く太い人生だろうか。

そして底なしの向上心にも恐れ入る。常人ならば一つの成功すら手中にできないところ、シュワはボディビルダーとしても実業家としても大成功したばかりか、その地位に満足しない。

次から次へと新領域を開拓していくバイタリティには圧倒された。この人は普通じゃない。

体格が短所から長所に転じた俳優業

俳優として長らく芽が出なかったのは、そのゴツすぎる体格ゆえに演じられる役がなかったからだ。エージェントからは「筋トレをやめて体を小さくしろ」とアドバイスを受けた。

しかし70年代が終わり80年代に入ると、一転してゴツい体格のおかげで仕事が舞い込んでくるようになる。

相変わらず英語の発音はおかしく、表情は硬く、演技力に難はあり、おまけに大プロデューサー ディノ・デ・ラウレンティスからは嫌われたが、英雄コナンを演じられる肉体の持ち主だったので『コナン・ザ・グレート』(1982年)の主演に抜擢された。

そこからはトントン拍子だったが、トントン拍子すぎて80年代の出演作にほとんど触れてもらえないのは残念だった。

このドキュメンタリーの視聴者の大半はアクション映画ファンなのに、『コマンドー』(1985年)にも『プレデター』(1987年)にも『トータル・リコール』(1990年)にも言及してくれないのは、ちょっとねぇ…。

やたら手厚く紹介されるのが『ツインズ』(1988年)なんだけど、それはあんまり有難くなかった。

ただし収穫もあって、『ラスト・アクション・ヒーロー』(1993年)が大失敗した件にシュワ本人が言及するのを初めて見た。

ブルドーザーの如く何にでも明るく前向きに取り組んできたシュワが、『ラスト・アクション・ヒーロー』の公開時にはありえないほど落ち込んだらしい。それほどの破壊力があの失敗作にはあったのだ。

俳優業停滞と政界進出

1997年には先天性の心疾患のため生存率の恐ろしく低い大手術を受けて1年間の休業をしたが、復帰後にも元の勢いは取り戻せなかった。

『エンド・オブ・デイズ』(1999年)『シックス・デイ』(2000年)『コラテラル・ダメージ』(2002年)とことごとくコケたが、残念なことにこれらの失敗作にシュワが言及する場面はなかった。特に『シックス・デイ』あたりはシュワ本人がどう考えてるんだか聞いてみたいんだけど。

ちょうど俳優業停滞のタイミングで、地元カリフォルニアのグレイ・デイヴィス州知事がリコールされる。

かねてから政界への興味を持っていたシュワはこのチャンスに立候補し当選するんだけど、人生の節目で次の展開が起こるあたり、やはりシュワは持ってる男だ。そして「今が次に行くべきタイミングだ」と見切るセンスも素晴らしい。

やはりこの人は規格外の器の持ち主である。

そして政治家としても器の大きさを見せる。共和党所属でありながら折り合える部分では民主党とも協力し、自身の最大の目的である大規模公共事業に着手する筋道を作り上げた。

共和・民主双方の支持者を納得させるため、法案反対議員と事前打ち合わせの上で、テレビカメラの前で口喧嘩を演じてみせることもあったらしい。良く言えば周到、悪く言えば狡猾、さすがは海千山千を経験してきた男である。

後に世界各国で参考にされることとなる革新的な環境保護政策を、いち早くカリフォルニア州で実現したという成果は、このドキュメンタリーで初めて知った。

隠し子騒動の総括

多少の浮き沈みこそあったものの、全体的には大成功者であり続けたシュワルツェネッガーだが、2011年に大きな痛手を負う。

家政婦との不倫の末に隠し子が生まれていたことが発覚したのだ。

一方凄まじい離婚歴を誇り、「結婚生活は3回目くらいでようやく安定する」とも言っていたスタローンあたりならば、「やっぱり」という感じで誰も問題視しなかっただろうが、マリア・シュライバーとのおしどり夫婦ぶりが売りだったシュワにとっては致命傷だった。

家族との別居を余儀なくされ、有名人としてのイメージも低下。それまでの称賛は批判へと変わった。

人生で一番苦しかったであろうこの騒動についてシュワ本人が言及するんだけど、「ジョセフ(隠し子)に自分がこの世界で歓迎されていないと感じさせたくない」と言った場面では感動した。

ドキュメンタリーの終盤では、ジョセフと共にトレーニングをする場面が映し出され、なんだかんだでいい親父であることが分かる。

こういう人間性が透けて見えるからこそ、私は30年以上に渡ってこの人の映画を見続けてるんだろう。

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コメント

  1. 匿名 より:

    『シュワルツェネッガー主義』を読み返したら、本文278ページ中
    「アスリート」:7ページ弱 「政治家」:14ページで残り257ページ全部「映画俳優」
    という豪快なペース配分で笑ってしまいました。
    『アーノルド』もそれぐらいの構成で見たかったです!