Netflix版『新聞記者』の製作現場が問題ありまくりだった件

スポンサーリンク
スポンサーリンク
実話もの
実話もの

(2022年 日本)
2022年1月に配信開始され、当初は好評を博していたNetflix制作のドラマ版『新聞記者』ですが、事件当事者から「事実とは違う」との抗議があったのに無視したなどの問題が指摘され始めています。作品レビューで私が問題視したことがその通りになったという部分も多かったので、私見も交えつつまとめます。

ドラマ制作の内幕

発端は週刊文春2022年2月3日号に掲載された「森友遺族が悲嘆するドラマ『新聞記者』の悪質改ざん」という記事。そこで指摘された問題点とは、

  • 事実では元NHK職員の地方新聞記者が遺書を入手したところ、ドラマでは望月衣塑子記者が入手したことに変更されていた。
  • ご遺族は事実との相違を訴えたものの、プロデューサーからは「フィクションなので要望は受け入れない」との一方的な回答があった。
  • その後、製作との間に入っていた望月衣塑子記者からも連絡を断たれた。
  • ドラマの完成後にプロデューサーは謝罪を申し出てきたが、望月記者は「会社の上層部に、もう一切かかわるなと止められている」との理由で姿を現さなかった。

こういうわけです。

今のところ、プロデューサーの河村氏や新聞記者の望月氏からの反論はないので、週刊文春の記事を事実と考えて論評いたします。

フィクションに逃げ込む姿勢はズルい

ドラマを見て私が感じたのが、事実とフィクションの混ぜ方がズルいという問題でした。

誰が見ても森友学園問題だと分かる作りになっているのに、固有名詞を変えることで「フィクションです」と言い逃れできる余地を作っている。これなら、もしもリサーチが甘くて事実との相違を指摘されたって問題ないわけです。

この作品が世に出ることでプライドを傷つけられる人がいる一方で、製作者側は何かあってもフィクションと居直ることができる。

さすがにこの構図はマズくないか、製作者側も当事者たちとガチンコ勝負をすべきではないかと思ったのですが、後に出てきた記事を見るに、製作者側は意図的にこういうズルをしていたというわけで、より強い悪質性を感じます。

こんなことならば、「安倍は加計学園で生物兵器を作っていた!」という誰が聞いても嘘だと分かる話で失笑を買った映画版『新聞記者』の方が、まだ良心的だったと言えます。

新聞記者の独善性が週刊誌に火を点けた

そして週刊文春がこのネタを大きく取り扱ったのは、ドラマの内容が彼らの怒りに火を点けたからではないかと思っています。

これもまたドラマ版の感想に書いたのですが、新聞記者こそ正義の具現者であり、雑誌記者はマナーを弁えない無礼者という描き方は此れ如何にと思ったのですが、案の定、プライドを傷つけられた雑誌記者達が反撃を開始したというわけです。

ある記事によると、ご遺族はテレビや新聞の取材攻勢に悩まされていたとの話もある中で、どうしてそこまで新聞記者を尊い立場に置けるのか。

加えて、遺書はご遺族との信頼関係を構築した地方新聞記者が入手したものであるにも関わらず、望月記者が入手したものとした「手柄の横取り」にも、同じくスクープを追っている者として許せないとなったのかもしれません。

嘘をついてまで新聞記者=望月氏を崇高に描くつもりであれば、こちらはそのメッキを剥がしてやるまでよと。

良心的に仕事を進めるのって難しい

ただし、私は一方的に河村プロデューサーと望月記者を断罪したいわけではありません。

ビッグプロジェクトともなれば、この手の齟齬は往々にして生じうるものだからです。

河村Pからすれば、望月さんがご遺族と話を付けてくれると思って企画を進めていたら、意外と交渉が難航した。望月記者からすれば、思いのほか河村さんが話を進めてしまっていて、ご遺族を説得しようのないところにまで来てしまった。

こんな事情がうかがい知れます。

そんな中でも確実なのは、Netflixという国際的な大企業とは契約済みであり、リリースも決定しているので、誰が何と言おうが進めるしかないということです。

だから、あるところで「もうやるしかない」と腹を括って、説得を断念したのでしょう。

そんな事情は分かるものの、ドラマにおいては官僚達の事情に対する想像力もなく、彼らに対して「正しいことをせよ」「良心は痛まないのか」と説教してしまった。そのこととの整合性はとれなくなります。

「で、あなた方はどうなの?何か言うことない?」となってしまいますよね。

ドラマ版に対して私は、善悪で色分けしすぎであるとの感想も持ったのですが、図らずもそのことがブーメランのように製作陣に帰ってきたわけです。

善悪を明確に色分けするならば、河村Pも望月記者も悪に分類されることをやっていますからね。

また、遺族が異を唱えているのに望月記者は「会社に言われた」という理由で、謝罪の場にすら現れない。あなた方がさんざん非難してきた官僚達と何が違うんですか?

ただし、重ねて言いますが河村Pや望月記者が悪いと言いたいのではなく、社会人が何のしがらみもなく善意のみで動くなんてことは不可能だし、その善悪だって明確なものではないということです。

ドラマを製作する人たちにも事情があるし、それが遺族感情と合わないということも起こり得る。

製作中にまさにそういう局面に直面しながら、なぜ政治家や官僚の仕事に対する想像力を働かせなかったのだろうか。もしその点を顧みながらドラマを作っていれば、もっと面白いものになったかもしれないのに。

それがこのドラマの最大の瑕疵だったと思います。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
記事が役立ったらクリック
スポンサーリンク

コメント