(2000年 アメリカ)
メキシコ麻薬戦争を描いた傑作として認識されている作品ですが、私は中途半端な温度感の作品だと感じました。麻薬カルテルとの直接的な戦いが描かれるメキシコパートは他の犯罪映画と比較するとパンチ不足だし、娘がヤク中になった一家のドラマは痛ましいというよりも、出てくる人間が全員阿呆なのでイライラさせられました。
作品解説
英テレビドラマのリメイク
本作は英チャンネル4で放送され、国際エミー賞を受賞したテレビのミニシリーズ”Traffik”(1989年)をベースとしています。
かねてから麻薬をテーマにした映画を撮りたいと考えていたスティーブン・ソダーバーグがこのドラマの構成を気に入り、後に『チェ 28歳の革命』(2008年)、『チェ 39歳 別れの手紙』(2008年)、『ビースト・オブ・ノー・ネーション』(2015年)などを手掛ける女性プロデューサーのローラ・ビッグフォードが映画化権を取得。
その後、新人脚本家スティーヴン・ギャガンが書いた、上流階級の高校生がヤク漬けになる”Havoc”という脚本がソダーバーグの目に留まり、本作の企画と合流させて一本の映画にまとめることとなりました。
ただしこの脚本はすでにエドワード・ズウィック監督が映画化に向けての関与を始めていたことから、ズウィックも本作のプロデューサーに名を連ねることとなりました。
製作時のゴタゴタ
主演の候補はマイケル・ダグラスだったのですが、一度断られ、代わりにハリソン・フォードが関心を示しました。
で、フォードが主演するならということで20世紀フォックスが本作の製作に名乗りを上げたのですが、3時間の麻薬映画という前代未聞の企画に対しては葛藤も抱えていました。当時のフォックスは『ファイト・クラブ』(1999年)に頭を悩ませており、刺激的な作品に対しては消極的だったのです。
不動の傑作の地位を獲得した現在の感覚では信じられないのですが、製作時点から『ファイト・クラブ』は内容の割にコストがかかりすぎとの批判があり、また公開後にも賛否両論で興行的に振るわず、社長のビル・メカニックを含む何人もの役員の首が飛ばされる事態となっていました。
そんな御家事情もあって、フォックスは本作をよりマイルドにするよう脚本の書き換えを要求したのですが、ソダーバーグはこれを拒否。さらには肝心のフォードとのギャラ交渉にも失敗して降板となったことから、2000年初め頃にフォックスは企画から手を引きました。
その後、ユニバーサル傘下のUSAフィルムズ(現フォーカスフィーチャーズ)が本作に関心を持ち、フォックスの2500万ドルを大幅に上回る4600万ドルもの予算を提示してきました。かくしてUSAフィルムズへの移籍が決定。
また当初の第一候補だったマイケル・ダグラスも主演を引き受けてくれて、2000年4月8日より撮影を開始し、2000年12月に公開となりました。
興行的大成功
本作は2000年12月27日に4館で限定公開された後、2001年1月5日に全米公開され、最初の週だけで1500万ドルを売り上げるという社会派作品としては上々のスタートを切りました。
その後、オスカーノミネート等の話題性も手伝って3月末までの長期間にわたってトップ10圏内に留まり続け、全米トータルグロスは1億2410万ドルに達しました。
国際マーケットでも同じく好調で、全世界トータルグロスは2億750万ドル。製作費4600万ドルの中規模作品としては異例の大ヒットとなりました。
アカデミー賞4部門受賞
本作は批評家受けも大変よく、その年のアカデミー賞では5部門にノミネート(作品賞、監督賞、助演男優賞、脚色賞、編集賞)され、『グラディエーター』(2000年)、『グリーン・ディスティニー』(2000年)と並ぶ、その年の有力候補作品となりました。
尚、ソダーバーグは同年の『エリン・ブロコビッチ』(2000年)でも監督賞にノミネートされており、同一人物が同一部門に複数作品で同時ノミネートされるという珍しい現象も発生しました。
結局、本作は作品賞(受賞はグラディエーター)以外の4部門を受賞。
ソダーバーグの監督賞受賞が発表された瞬間、ライバル『グラディエーター』(2000年)のリドリー・スコット監督の憮然とした表情が中継で映し出されました。
感想
複雑な麻薬戦争を分かりやすく伝える
本作は麻薬戦争を俯瞰する内容となっており、
- メキシコ麻薬カルテル
- アメリカの流通業者
- 麻薬のエンドユーザー
の三者の姿が描かれます。加えて、それぞれの舞台にはこれを止めようとする捜査官や行政府の長が登場し、3つの舞台×善悪両サイドのドラマ=6つのドラマが同時展開することとなります。
同時に6本ものラインが走る群像劇は相当厄介なもので、観客に混乱を招きかねないところでしたが、ソダーバーグ監督は3つの舞台を色分けして描くことでこの問題を解決しました。
- 麻薬生産がなされるメキシコ→アンバー(琥珀色)
- 流通業者が所在するカリフォルニア→原色
- 麻薬汚染されたオハイオ州コロンバス郊外→ブルー
中学の美術で習った色相環によると、ブルーとアンバーは補色の関係にあるので、これを使った色分けは色彩学的に理にかなっていると言えます。
なおブルーとアンバーを用いる映像表現はデヴィッド・フィンチャー監督の初期作品に見られたもので、『エイリアン3』(1992年)や『セブン』(1995年)などがその代表例でした。
ソダーバーグの発明は、MTV監督であるデヴィッド・フィンチャーの手法を社会派作品に持ち込んだことにあり、本家以上に効果的な形で作劇に取り入れています。
そして、この手法は後のチャン・イーモウ監督の『HERO 英雄』(2002年)でも大々的に採用されました。『HERO』ではレッドとグリーンがベースカラーとされましたが、この二色もまた補色関係にあります。
「何の役に立つんだ」と思って聞いていた美術の授業で得た知識が、まさか映画鑑賞で役立つとは思ってもみませんでしたが。
メキシコパートはパンチ不足
内容ですが、最も壮絶であるはずのメキシコパートが意外とおとなしいので拍子抜けしました。
これは『ボーダーライン』(2015年)や『ナルコス:メキシコ篇』(2018-2021年)といったパンチの効いた後続作品を見たせいで相対的にそう感じるというわけではなく、劇場公開時からの感想です。
このパートの主人公はバハ・カリフォルニア州の麻薬捜査官ハビエル(ベニチオ・デル・トロ)。
彼は地元を良くしようとする熱血捜査官で、連邦捜査局のサラザール将軍に見初められたことからその下で働くようになるのですが、サラザールは敵対組織を潰してドラッグビジネスの覇権を奪いたい別の麻薬組織と繋がっていることが判明します。
行政や捜査局の心臓部までが麻薬組織の毒牙にかかっており、もはや神も仏もないことがメキシコ社会の恐いところなのですが、サラザール将軍は登場時点から怪しさ全開なのでその正体がサプライズたりえていないし、不正に染まらないハビエルがどんどん追い込まれていくような逼迫感も感じませんでした。
かねてより、ソダーバーグの映画は様式的にはよく出来ているのだが心に迫ってくるものがないと感じていたのですが、ハビエル捜査官のエピソードでは、まさにその弱みがドバっと出ているように感じました。
カリフォルニアパートはハラハラして面白い
舞台かわってカリフォルニアパートで描かれるのは、正義に燃えるDEA捜査官ゴードン(ドン・チードル)と、夫が麻薬密輸業者であることを知ったヘレーナ(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)の攻防戦。
ゴードン捜査官は麻薬密輸業者カール(スティーヴン・バウアー)を逮捕し、立件に持ち込もうとします。ここは普通の刑事ものみたいですね。
しかし変化球になるのがカールの妻ヘレーナの存在で、彼女は夫の正体を知らない有閑マダムだったのですが、カールが逮捕されたことから立場が一変。恵まれた奥様から犯罪者の妻へと超絶ランクダウンを果たします
ヘレーナとしては子供も生まれそうだし、このまま夫を刑務所に入れられちゃかなわんということで、その裁判での証言者の暗殺を企てます。
彼女がやろうとするのはれっきとした犯罪行為なのですが、見ている側としては彼女の立場も痛いほど理解できるわけですよ。このまま夫が犯罪者になれば、私も、生まれてくる子供もおしまいよという。
ここに、証言者を暗殺しようとするヘレーナと、守ろうとするゴードンという敵対関係が成立するのですが、どちらにも感情移入し、どちらもうまくいって欲しいという複雑な感情を抱くに至って、終始ハラハラさせられました。
このパートは随分とよく出来ており、最初から最後まで楽しめました。
コロンバスパートには腹が立った
一方、最悪だったのがオハイオ州コロンバスのパートです。
麻薬撲滅担当の大統領補佐官に就任したロバート・ウェークフィールド判事(マイケル・ダグラス)と、高校生の娘キャロライン(エリカ・クリステンセン)が主人公なのですが、どちらの人物にも感情移入できませんでした。
キャロラインは地元の名門高校に通っているのですが、チョイ悪な同級生にすすめられてドラッグをやるようになり、そのまま中毒者になっていきます。
キャロラインと仲間達がエリート特有の中身のない知識自慢をしながらハッパやってる様は結構ムカつくのですが、実際には阿呆で、オーバードーズで気を失った友人の処理に失敗して警察に補導されてしまいます。
父ロバートがここで手を打っていれば問題は解決していたのですが、娘に対する厳しい対応を取らないので娘のヤク中は治るどころか、より深刻になっていきます。警察沙汰になっても反省しない娘と、娘を叱りつけることのできない父親。どちらも阿呆でしょ。
最終的にこのバカ娘はクスリ欲しさに売春まで始めるのですが、この飛躍もちょっとどうかと思いました。
上流階級のお嬢さんが短期間でそこまで落ちるなんてことは流石に考えられないので、リアリティの欠如が気になります。
その後、ロバートは娘のヤク中問題に専念するため大統領補佐官を下りることにするのですが、ホワイトハウスでの記者会見中に突然「私にはできません。ごめんなさい」と言ってその場を去っていくという、社会人として最悪な行動をとります。
重要な役職からの辞任は上司に相談しながら進めるべきことなのに、仕事の最中に突然職務放棄して立ち去っていくというのは考えられません。
自分自身はおろか、任命者である大統領にも大変な迷惑をかける行為であることが分からなかったんでしょうか。
この終わらせ方に腹が立って仕方なかったので、作品全体の後味も最悪でした。
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