(2020年 アメリカ)
完全にイっちゃってるラッセル・クロウは迫力あったのだが、彼に狙われるカレン・ピストリアスはイマイチだった。また賢く動けば逃げられそうなところ、主人公があえて衝突しそうな道を選んでいるようにも見えて、途中から馬鹿馬鹿しく感じられたのもマイナス。
感想
無敵の人ラッセル・クロウ
夫との離婚手続中のレイチェル(カレン・ピストリアス)が子供を学校に送っている最中に、青信号に変わっても動かない車に遭遇。きつめのクラクションを鳴らしたら相手はヤバい奴でしたというのがザックリとしたあらすじ。
このヤバい奴を演じているのが大スター ラッセル・クロウなのだが、かつてセクシーと言われた人物とは思えない程でっぷりとした体格で、年月の残酷さを思い知らされる。
ギラついた瞳、脂ぎった皮膚、ドスのきいた声と、関わっちゃいけない人感全開で、その姿を一目見た瞬間に、レイチェルはクラクションを鳴らしてしまったことを激しく後悔する。
彼の名はトム・クーパーと言い、元は真面目な労働者だったらしいのだが、怪我がきっかけで医療用麻薬どっぷりとなり、奥さんに離婚され、家も取られ、絶望のあまりかつてのマイホームに火をつけてきたところだった。
家に火をつけた瞬間に自分の人生は完全に終わったと観念しており、レイチェルが遭遇した時点でトムは「無敵の人」になっていた。
「無敵の人」とはネットスラングで、社会的に失うものがないため犯罪を起こすことに何の躊躇もない人を指す。
さらに悪いことにレイチェルも離婚協議中だと知ったものだから、トムは自分からすべてを奪った嫁と彼女を重ね合わせてしまう。
かくして無敵の人トムはレイチェルをロックオンし、血生臭い鬼ごっこが始まる。
完全にイっちゃった表情をしているラッセル・クロウが良い。『グラディエーター』(2000年)では妻子を惨殺されようが歯を食いしばって耐えたクロウだが、本作では怒りを隠すことなく襲い掛かってくる。
これが更年期の恐ろしさか。
ただしレイチェル役のカレン・ピストリアスの演技に深みがなく、二人の間で化学反応が起こっていないことが本作の欠点だった。
ピストリアスは撮影当時29歳で、思春期の子供を持ち、離婚協議に苦しんでいる女性には見えない。55歳のクロウとの年齢差もありすぎて、トムが自分の家庭を重ね合わせる対象としてもピンとこない。
40歳前後でくたびれた感じのある女優さんの方がよかったんじゃなかろうか。
そしてこの話には、レイチェルも対応を間違えたという因果応報的な側面もあったのだが、それも台無しになっている。彼女の置かれた立場は元夫に対して優越的なものではなく、むしろトムと似たような苦痛を味わう立場なのだから、本来2人は分かり合える関係でもあったのだ。
しかし朝のラッシュでイライラしていたのでレイチェルもトムに対して酷い対応をとってしまい、そのことが小さなトラブルを大惨事にまで発展させてしまう。
そんな興味深い構図も、やはりピストリアスの浅さから台無しになっている。
見せ場にリアリティがない
兎にも角にも、無敵の人トムは警察に捕まるかもしれないなんてことは全然気にならないので、大都市ニューオーリンズで真昼間からタガの外れた大暴れをする。暴走、ひき逃げ、刺殺と、もうやりたい放題。
ただし凡庸な演出のためか、起こっていることほどのショックを感じなかった。
またリアリティとの兼ね合いにも失敗している。
『激突』(1971年)や『ヒッチャー』(1986年)が荒野でやったことを、白昼の大都市に置き換えたことが本作の独自性であると言えるのだが、残念ながらその試みは成功していない。
トムは同じ車で移動し続けているのに、これを探し出せない警察が無能すぎるし、いくらでも駆け込む先があるにも関わらず、トムと対峙せざるを得ない道ばかりを選ぶレイチェルが愚かに見えてしまっている。
弟の救出に失敗した時点で、警察がロックダウンをかけている息子の学校に戻れば安全だったのに、わざわざ明後日の方向に逃げて再度トムの追撃を受けるとか、阿呆すぎるでしょ。
そもそも、あの特徴的な車を早々に乗り捨てて公共交通機関での移動に切り替えれば、トムの追跡を振り切れたのではないかとも思うのだが。
まぁそれをやっちゃうと映画が成立しなくなるわけで、ちょっと前に見た『モースト・デンジャラス・ゲーム』(2020年)でも感じたのだが、やはり大都会を舞台にした追っかけっこは難しいのである。
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