でっちあげ〜殺人教師と呼ばれた男_部下を守る気のない上司は管理職を降りなさい【9点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

スポンサーリンク
スポンサーリンク
実話もの
実話もの

(2025年 日本)
実際に起こった教師の冤罪事件をテーマにした社会派ドラマ。虚言壁のある保護者、事なかれ主義の校長と教頭、面白おかしく書き立てる週刊誌など、まぁ胸糞な内容で見ているだけで疲れた。

最凶モンペ 柴咲コウ

怖いものって何だろう?

戦争、天変地異、殺人鬼、幽霊などいろいろあるが、私がもっとも恐怖を感じるのは「同じ言語を使っているはずなのに話が全く通じない相手」である。

映画で言えば『悪魔のいけにえ』(1974年)の食人一家や、『ミスト』(2007年)の宗教ばばぁがこれに当てはまるのだが、そうしたレジェンドに引けを取らない新星が日本映画界に誕生しましたよ。

本作の元になったのは、2003年に福岡市で起こった教員の冤罪事件。

「教員による児童へのいじめ」を教育委員会が初めて認めた事例として当時は広く報道され、私もおぼろげながら覚えていた。

そして私を含む世間一般の認識は「教員のいじめが正式認定された」というところで止まっているのだが、その後の法廷闘争の過程で冤罪だったことが判明し、教育委員会による処分も取り消されていたというのが、この事件の顛末。

この冤罪は虚言壁のある親子によって生み出されたもので、映画ではその母親を柴咲コウが演じている。

自分にはアメリカ人の血が入っているだの、留学経験があるだのと、「ホンマかいな」みたいな話を吹聴して回る一方で、我が子の問題行動は直視せず、都合の悪いことはすべて自分たち親子以外の誰かのせいだと考える。

その果てに起こったのが「担任がうちの子に暴力をふるっている」という主張である。

子供のついた嘘を鵜呑みにしたものなんだろうが、学校相手に一方的に自己の主張のみを展開し、「相手の話も聞いてみよう」という姿勢を一切見せない鉄壁ガードぶりが百戦錬磨。

そして過去の発言の矛盾点を指摘されてもまったく動じず、「そんなことは言っていない」「覚えがない」「分からない」と平然と答えてしまう。

嘘をついているという認識を持ったうえでの自己防衛なのか、はたまたこいつの中では完全に真実になっているのかは分からないが、バッキバキの目で他人を追い込む柴咲コウには、日本映画史に残る迫力と狂気が宿っていた。

個人的な経験でもこの類の保護者には関わったことがあるので、人物造詣にはリアリティを感じる。

リアルの方で知っているのは、些細なことでもすぐにクレームを入れに行くことで有名なヤバイ母親で、ある年に、その家の子供とうちの子が同じクラスになった。

その母親は自分の子の言うことをすべて鵜呑みにしたうえで、「うちの子は被害者、他の子供が加害者、先生は何もしてくれない人」という図式で多くを理解しており、何でも決めつけで学校に乗り込んでいくので、教員も他の保護者も戦々恐々としていた。

これは不適切かもしれないが、うちの子はその家の子どもに関わって欲しくないと内心では思っていた。

いざ事が起こると「説明しろ」と担任に凄みながらも、自分が信じているのと違う話が出てくれば「そんなはずはない」「こうだったはずだ」と言って引かない。

「じゃあもう説明なんかいらねぇだろ」というツッコミをすると事が余計に荒立つので、ロックオンされたらまぁまぁの地獄である。

我が子の言い分に耳を傾けることは確かに大事だし、子を守るのは親であるという気概は持つべきだ。

だが同時に、わが子の事実誤認、記憶違い、虚言の可能性も疑うべきが親である。

育児をしていればわかることだが、子供なんて本当にしょーもない嘘をつく生き物だし、メタ認知能力も低いので、その場に居合わせた第三者に状況を聞いてみると本人証言と全然違う話だったなんてことは日常茶飯事だ。

しかしこの保護者は我が子の主張に完全なる信頼を置いており、かつ、我が子が加害者に転じる可能性をまったく考慮していない。

用事があって放課後の学校に行ったときに、その保護者による担任と教頭のガン詰め現場に遭遇したのだが、こちらが間違っているかもしれないとつゆとも疑っていない人間特有の力強さや狂気を感じ、私はすぐにその場から退散した。

その保護者もまた、バッキバキの目をしていた。

初動対応をした校長・教頭はクズ

柴咲コウが本作で一番インパクトのあるヒールであることには間違いないのだが、『ミスト』(2007年)のばばぁの例に漏れず、実社会においてこの手合いは避けられており、実のところさほどの力を持っていない。

この異常者に力を与えるのは周囲の人々の反応なのである。

柴咲コウが殴り込んできた際の初動対応に当たった校長と教頭が、その失敗を犯してしまう。

「おたくの教員がうちの子供をいじめている」

事実であれば大変なことだが、では担任は一体何の得があってそんな凶行に及んだのか?、今まで暴力事件なんて起こしたことがない40代のベテラン教員がなぜ今?、ほかの児童に同じことをしていないか?などなど、ちゃんと調べなきゃいけない状況ではあったのだが、校長・教頭は安易に折れてしまったのである。

またこいつらには芯がない。

当初は「とりあえず謝っとけばいいんだよ」と、場を収めるための方便として担任に謝罪させようとする。

この対応は社会人として理解できなくもないんだが、状況が極まってくると、今度は担任を本当の暴力教師として扱い始める。

こうした一貫性のなさと、部下を守る気概のない管理職失格の態度が、事をより荒立てていく。

柴咲コウは謝って済むどころか、こちらが謝れば謝るほどつけ込んでくる相手だと分かった時点で、「重大案件ですのでしっかりと調査して回答いたします」といったん引き取るべきだった。

うわべではへりくだりつつも、どうも周囲の子どもたちの認識は違うようだ、この先生を悪く言っているのはこの親子だけだという話を一つ一つ積み上げて提示すれば、バッキバキの柴咲コウはともかく、いかにも家庭に関心のなさそうな体育会系のバカ旦那くらいは「こっちがおかしいのかも」と気付いたかもしれない。

しかしこのバカコンビは決定的瞬間を何度も何度も逃してしまう。

その結果、ロクに調査もできていない事案が「学校も認めたこと」になり、その後に登場する教育委員会やマスコミは「そういうことはあったんだろう」という前提で扱い始める。

そして事が大きくなってくると「事件があってくれなきゃ困る立場の人たち」が現れるようになり、もはや誰にも止められない猛烈な激流が出来上がる。

こうなってくると疑惑をかけられた担任は完全に詰みである。

本作の前半1時間のストレスはハンパなものではなく、まともに見ているとこちらの胃にまで穴が開きそうだったので、犬を撫でたりスマホをいじりながら見た。

それでもムカついて仕方なかったが。

マスコミは無責任

あと、週刊文春の記者を演じた亀梨和也の嫌らしさね。

亀梨自身が記者から追い回されている立場であり、旧事務所の問題ではいろいろやられたこともあって、彼らの嫌らしさを本当によく分かってらっしゃる。

「事実であれば許せない話」と「事実認定の作業」を意図的にごっちゃにして無責任に書き散らかす。

正義を振りかざして他人を追い込む。

そして何の権利があるのかは知らないが、やたらエラそう。

取材対象に対しては「説明しろ」とうるさいのに、後に誤報だった可能性が高まり、今度は自分たちが説明を求められる立場になると、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

ここにもう一つの胸糞ポイントがある。

前半で主人公に居丈高に振る舞っていた連中が、旗色が悪くなってくるといつの間にやら姿を消していく。

片時も主人公から離れず盗撮をしていた亀梨は消え、主人公宅を取り囲んでいた取材陣もいなくなり、憮然とした態度がムカついた柴咲コウの旦那も傍聴席から姿を消した。

本当にいつの間にやらいなくなっているのだ。

「お前ら、何か言うことあるんじゃないか?」と思うが、短絡的な発想で騒いでいた奴らは引き際も無責任。

以前の『フロントライン』(2025年)の記事でも書いたが、本当にマスコミってのはしょーもない生き物である。

知る権利や報道の自由は大事なことだが、それは国民のためのものであってマスコミに与えられた免罪符ではない。

剣よりも強いペンをふるう者としての自覚は持ってもらわないと困ってしまう。

そして『フロントライン』と同じくオールスター主演の社会派作品でありながら大きな話題にならなかったのは、テレビ局が積極的に宣伝しなかったからだろう。

自分たちの都合の悪いことには触れないという姑息さも含め、マスコミが嫌い

最後は映画の感想ではなくなってしまったが(笑)、すごく面白い映画なので多くの人に見ていただきたい。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
記事が役立ったらクリック
スポンサーリンク

コメント