バビロン_サイレント時代の「ブギーナイツ」【6点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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中世・近代
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(2022年 アメリカ)
デイミアン・チャゼル監督の濃厚演出のおかげで3時間はあっという間だったし、印象に残る場面もあった。ただし主人公であるマニーのキャラが異様に薄いのと、後半に向けて無茶な展開が増えてくるのとで、全体としてはまぁまぁといったところ。

感想

出鱈目でケバケバしくて居心地の良いサイレント時代

劇場公開時にはスルーしていた映画で、ネットフリックスに上がっていたのを鑑賞。

日本公開時にはR15指定にするため一部の場面にボカシが入っていて、ソフト版もそれに準じているんだけど、ネトフリで配信されているのはなんとR18版で、無粋なボカシが入っていない。

しばしば検閲対象となるエロとグロだが、監督にこだわりがあってそうした場面を入れているのだから、ボカシってのは原則入っていてはいけないと思う。そういった点で、今回のネトフリはグッジョブだった。

冒頭30分間に渡り、20年代のハリウッドで夜な夜な繰り広げられていた乱痴気騒ぎが延々と映し出される。

至る所に裸の男女がいて、所構わずやりまくっている。そこら中汚物まみれで清潔感もモラルもあったもんじゃないが、有名人が品行方正である必要がなかった時代に対する、規制で雁字搦めにされた現代のハリウッドセレブ達からの羨望も感じられる。

「自分もあの時代に生まれたかった」という思いで本作のスタッフ・キャストの思いは一致していたのだろうか、この場面の物量や勢いは物凄いことに。それは『ムーラン・ルージュ』(2001年)の冒頭にも匹敵するほどで、30分間が本当にあっという間だった。

主人公は↓の3名で、その後の2時間30分に渡って、彼らの栄枯盛衰が描かれる。

  • ジャック・コンラッド(ブラッド・ピット):サイレント時代のハリウッドを代表する大スター。ダグラス・フェアバンクスと人気を二分していた大スター ジョン・ギルバードがモデル。
  • ネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー):ハリウッドで一旗揚げようとニュージャージーから出てきた女優志望。奔放な私生活でいろいろ叩かれることも多かった女優クララ・ボウがモデル。
  • マニー・トレス(ディエゴ・カルバ):メキシコ系アメリカ人の映画アシスタントだが、雑用ばかりでロクな仕事をさせられていない。ハリウッドでメインスタッフになることを夢見ている。

乱痴気騒ぎの翌日にも撮影は待っている。

マニーは撮影現場でのジャックを見て、さっきまで酔い潰れていたのによく仕事ができるもんだと感心するが、実のところジャックからは酒が抜けきっていないどころか、現場でも飲酒しながら仕事をしている。

もう滅茶苦茶なんだけど、それでもジャックは必要な指示を出し、大事な場面はちゃんとキメる。

ちょっと前に見たNHK『映像の世紀バタフライエフェクト』の「ハリウッド夢と狂気の映画の都」(2023年5月15日放送)という回で、草創期のハリウッドの様子が紹介されていたんだけど、サイレント時代のハリウッドは本当に出鱈目だった。

照明機器などが非力なので基本、映画は屋外撮影で、屋内シーンすらオープンセットに天幕を張って撮影していた。

設定上は室内のはずなのに風で小道具がひらひら舞ったりもしているが、誰もそんなこまけぇことなんて気にしていない。

この時代、映画は芸術というよりも見世物であり、何度も繰り返し見られるものでもないので、雑な仕事でもいいからとにかくこなしていくことが重要だったのだ。

そんな中で新人女優ネリーが頭角を現し始める。

昨夜の乱痴気騒ぎで死亡した女優の代役だったが、脚本上の進行をも無視して自分のパフォーマンスを見せ切ったことで、撮影現場では注目の的に。

脚本らしい脚本のなかった時代なので段取り無視も許されたわけで、まさに出鱈目な時代の申し子がネリーだったと言える。

ネリーが瞬く間にのし上がっていく様は痛快だったけど、欲を言えばすでにスターのマーゴット・ロビーではなく無名俳優をキャスティングして欲しかった。

デヴィッド・リンチ監督の『マルホランド・ドライブ』(2001年)で、当時まったくの無名だったナオミ・ワッツが新人女優役を演じ、虚構とリアルの両面でスター誕生の瞬間を刻んだ。ああいう奇跡がまた見られたらなぁと思う。言うほど簡単なことではないけど。

技術屋に仕切られるトーキー時代

本作の構成はポール・トーマス・アンダーソン監督の『ブギーナイツ』(1997年)によく似ている。というかほぼ同じと言ってもいい。

『ブギーナイツ』はポルノ業界の内幕もので、70年代に我が世の春を謳歌したポルノ業界の面々だったが、80年代にビデオの時代に入ったことで作品内容も製作プロセスも激変し、多くの者は生き残ることができなかった。

本作の場合、トーキー映画の出現が時代の節目となる。

トーキーによって俳優の肉声も作品の構成要素となった結果、一部の俳優の大根役者ぶりがバレてしまう。その筆頭格が本作の主人公の一人ジャックであり、大スターだった彼の名声は一夜にして地に落ちてしまう。

ジャックのモデルとなったジョン・ギルバードは、そのダンディな見た目とは似つかわしくない甲高い声が嘲笑の的となり、ネタキャラ化して仕事を失った。その後はアルコール中毒となり、二度の心臓発作を起こして死亡。

飲酒問題は現代のハリウッドにも通じる問題で、ベン・アフレックやザック・エフロンらが中毒に苦しんでいる。

本作でジャックを演じるブラッド・ピットその人も、元妻アンジェリーナ・ジョリーとの離婚の背景には自身のアルコール問題があったことを認めており、まさに身を削った熱演だったと言える。

そしてトーキーがもたらしたもう一つの変化は、技術屋による撮影現場の乗っ取りだった。

前述の通り、サイレント期のハリウッドでは屋外撮影が基本だったが、トーキー映画の登場で同時録音が必要になったことから、サウンドステージと呼ばれる防音スタジオでの撮影がデフォとなった。

劇中でも「マイクが声を拾える場所で演技をする」ということがネリーに対して求められており、どこに立って、どういう声量でセリフを発するのかは、監督ではなく技術屋が注文を出している。

これもまた、視覚効果班を中心に作品が作られる現代の映画界を憂いたものだと推測できる。

『アベンジャーズ』(2012年)などのメイキングを見ると、背景もクリーチャーもすべて後付けで、俳優たちはグリーンバックの前で大真面目に演技をしているという、なかなかシュールな光景を拝むことができる。

ここまでくると、もはや監督すらこの場面を把握できているのかどうか怪しい。おそらく全体像が見えているのは技術スタッフの方だろう。

映画を芸術として考えた時に、技術屋に現場を仕切らせていいのかという疑問がある。本作はサイレント時代とトーキー時代との対比によって、その疑問を浮かび上がらせているのである。なかなかよくできた構成だ。

説得力に欠けるネリーの転落劇

というわけで途中までは割とよくできていたんだけど、終盤でガクっと完成度が落ちる。これが本作の欠点。

トーキー時代に対応できず落ちぶれたネリーは、博打とドラッグに溺れていた。

反社の経営する賭場で、返せるあてのないほどの多額の借金をしたネリーは二進も三進も行かなくなり、スタジオ幹部に出世したマニーを頼る。

初対面からネリーを思い続けていたマニーはその力になることにするんだけど、阿呆なスタッフが金の代わりに撮影用の小道具の札束を準備したものだから、二人は窮地に陥る。

これが最後の悲劇につながるのだけど、そのきっかけが「小道具の札束」というのは、あまりにもいただけない。

仮にその場は凌げたとしても、永遠に騙し続けることなんてできない。そんなことは子供にだってわかる。

転落がもうちょっとマシな理由なら良かったんだけど、どんなバカでもやらないヘマがきっかけとなると、作品全体の説得力がなくなってしまう。

なお、最後は反社と金でトラブるという展開が『ブギーナイツ』と共通しているばかりか、登場人物内で傷の浅かった者がオーディオ機器の店を開くという顛末までが共通しており、これは確信犯としか思えない。

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