映画とは全く無関係なコロナ騒動検証シリーズ。第1弾のPVは全然良くないので好評企画でも何でもないのですが(コロナ関連はSEO上不利になるので当然の結果ではありますが)、今の異常な日本社会の記録を残しておくつもりで細々とでも継続したいと思います。
最近気になったコロナ情報
ワクチン接種後の死亡者が39人
ワクチン接種後 20人死亡 “因果関係 評価できずか評価中”(2021年5月12日 NHK)
つい先日見て驚いたのがこの記事。
コロナ対策の救世主であるワクチンで、死人が出ているらしいです。
とはいえ私はワクチン否定論者ではありません。そもそもワクチンは体に影響を与えるものなのだから決してノーリスクではないし、423万回の接種で39件の死亡事例ならば許容範囲内ではないかと思います。
私が興味を持ったのは、コロナ関連の死には怯えきっているマスコミや世論が、同じく人の生死が関わっているワクチン関連の死にはまったく興味を示していないということです。
感染症に対してはゼロリスクを求めて連日大騒ぎしているのに、その対抗策であるワクチン接種で多少ながら死人が出ていることは別にどうでもいいという感覚が私には理解不可能でした。
このままでは「コロナにかかるくらいなら死んだ方がマシ」という倒錯した意見までが現れそうです。
前回記事でもご紹介した田舎住みの私の父も、ワクチン接種の予約ができたことを物凄く喜んでいました。コロナは怖いがワクチン接種のリスクは気にならないって一体どういう心境なのだろうかと、わが親ながら不思議で仕方ありません。
もちろん、ワクチン自体が死亡に直結していたのか、別の原因で死亡した人がたまたまワクチンを打っていただけなのかは冷静に究明せねばならないのですが、それを言い出すとコロナ関連死だって同じくです。
WHOのカウント方法ではコロナ患者の死亡はすべてコロナ関連死とされるのですが、別の原因で死亡した人がたまたまコロナにかかっていただけという事例だって多く含まれているはずです。
しかしコロナ関連死のカウント方法についての異論はさほど聞かれません。
———2021/5/28追記———
ワクチン接種601万人余 85人死亡 “重大な懸念認められず”(2021年5月26日 NHK)
ワクチンによる死者が増えてきてますね。やはり人体に強烈な影響を与えるワクチンのようなので、コロナでの死亡リスクの低い層にはワクチン接種させないなど、レイヤー化した対策が必要な気がします。
そろそろマスコミもこの事実を重く受け止め、コロナの死亡リスクと比較してワクチンの副反応リスクは許容範囲内なのか、それとも対抗策としてはリスクが高すぎるのかを冷静に検討し、見解を述べるべきではないでしょうか。
コロナの死亡リスクを高く見積もり過ぎればワクチンの安全バーが下がってしまい、結果、不用意に死者を増やしかねないという局面なので、慎重かつ公正不偏の報道姿勢が望まれます。
———2021/6/29追記———
コロナ用ワクチンは安全か?世界で広がる疑念や疑問の声(2021年6月18日 Net IB NEWS)
やはりワクチンの安全性に対する疑念の声は上がり始めていますね。ファイザー元副社長やノーベル賞学者など専門知識と社会的信用のある人々が声をあげているだけに、これらを「陰謀論」と切って捨てず、懐疑論をまともに扱うべきではないかと思います。
加えて、製薬会社自身も「人体への長期的な影響は分からない」と言っているワクチンであることは重要な留意事項であるにも関わらず、その周知を行わないマスコミの姿勢には不信感しかわいてきません。
新型コロナウィルスに対しては過剰なほどの生命至上主義を掲げて度を越した安全策を強要してきたのに、ワクチンのリスクはガン無視では筋が通らないでしょう。
———追記終わり———
コロナ死亡患者の4割が元々寝たきり
コロナ死亡患者の4割が「元々寝たきり」の波紋(2021年4月21日 東洋経済ONLINE)
ちょっと古いのですが、コロナ関連死ではこの記事がとても重要。
もちろん寝たきりの方の死亡も大変なことではあるのですが、私がしたいのは生命倫理の話ではありません。
まだまだ元気な人でもコロナに感染すると死亡するのか、それとも、元から生死の境界線上にいた人の最後の死因がたまたまコロナだったのかは、この感染症が社会全体にとってどの程度の脅威なのかを評価する上で大きな違いです。
そして元々寝たきりが死者の多数を占めているというのは、この感染症に対する認識や対応策を一変させかねない重大情報です。
しかしこの数字は恐ろしいほどに無視されています。
全国民がこれほどまでにコロナに縛られた生活を送りながら、その認識を形成するための重要情報に社会的関心が向かないという点に私は大きな疑問を持ちます。まったく論理的ではないと。
論理的思考の欠如
「空・雨・傘」のフレームワーク
論理的と言えば、若い頃に先輩から「空・雨・傘」の論理を教えられました。有名なフレームワークなのでご存知の方も多いと思いますが、
- 空が曇っている(事実)
- 雨が降りそうだ(解釈)
- 傘を持って行こう(行動)
という三段論法です。レポーティングをする際に客観的な情報と主観的な判断を区別して読み手に分かりやすくするため、また筆者自身の思い込みを排除するためにこのフレームを意識すべきと教えられました。
このフレームを用いない場合にどんな間違いをやらかすのかというと、まず客観的事実の提示をしないために根拠不明の思い込みやあるべき論に終始し、全体の主張に説得力が伴わないということがあります。
雨が降りそうだとか傘を持っていけとか言うが、そもそも筆者がなぜそう考えているのかが分からないというものです。
次に、解釈からスタートしてそれに当てはまる事実を探してしまい、誤った結論を導き出してしまうということがあります。
空全体を眺めれば晴天の部分が多いのに、たまたま雲が出ている方角だけを見て雨が降りそうだと言っているというものです。
人間には自分の思い込み通りに事実を認識しようとし、また思い込みから外れる事実には目を向けたがらないという習性があるようで、予断を持たずに事実を観察するということがなかなかできないものです。
そして自分では事実だと確信していたことでも、実は勝手な解釈や思い込みが多分に含まれていたということはよくあります。それは事実と解釈を切り分けない思考の罠。
よって、「そんなの当たり前じゃん」と思うような事柄であっても、「なぜそう思うのか」「客観的事実は自分の認識と整合しているのか」を自問自答することは必要となります。間違いを探すだけではなく、認識の正しさを確認するためにもこのフレームワークを使うべきなのです。
で、コロナ禍の世論では「コロナは怖い病気である」「その対策としてワクチンは有効である」という解釈と行動ありきとなっており、これまでの認識の修正を求められかねない事実を無意識のうちに拒んでいるように感じます。
「過剰なくらいで調度いい」は非論理的
「コロナは怖がるくらいで調度いい」「大衆を安心させるような情報は出さないでおくべき」という意見もあるかもしれません。
しかし前述の通り、誤った解釈からは誤った結論が導き出される恐れがあるため、過剰なくらいで調度いいのだという考え方は論理的ではないし、それって戦意高揚のために日本軍が負けている情報を有耶無耶にしていた大本営発表と変わりませんよね。
「大義を為すために事実を隠す」という正義の在り方って、私は危険だと思います。
百歩譲って、感染症対策がノーリスク・ノーコストでやれるのであれば、論理的裏付けに乏しい対策でもいいかなと思います。
しかし実態はというと、大規模な休業要請で窮地に立たされる業界がいるし、彼らを助成するために支出された公金は次世代の借金となっています。
人付き合いを控えねばならない、授業すら対面で行われないという風潮は多くの人々の精神に悪影響を与えているし、いついかなる場面でもマスクを着用しろという風潮ではこれから迎える夏場の熱中症リスクも気になります。マスクが人を殺すことだってあるのです。
また感染リスクを過大に扱うあまり、運悪く感染した人々が肩身の狭い思いをする、社会生活を送れなくなる、田舎だと引越しにまで追い込まれるという感染者差別の問題もあります。
国を挙げての感染症対策とは、別の何かを犠牲にしながら遂行しているものだからこそ、「コロナ感染症とはそこまですべき脅威なのだろうか」「この対策は目的に対して有効なのだろうか」という冷静な見極めが必要です。
必要な情報を発信しないマスコミ
「メッセージはシンプルかつ明確に」という罠
そして論理的思考の欠落の総本山となっているのがマスコミです。
「前回に引き続き、またマスコミ批判か」とうんざりされるかもしれませんが、この日本社会の強張った空気を作っている張本人がマスコミなのだから避けて通れないのです。
彼らは「コロナは怖い病気である」「その対策としてワクチンは有効である」という自前のストーリー重視の報道をしており、そのストーリーから外れる情報を取り上げない、取り上げても重くは扱わないという姿勢でいます。
なぜ彼らがそんなことをするのか。マスコミ関係者の友人が多いわけでもないので推測となってしまいますが、平時の論理的思考方法が彼らの視野狭窄を生んでいるのではないかと思うようになってきました。
意味がわからないと思うので、これがどういうことかをご説明します。
私はクライアント企業のために事実を要約して伝えるという作業を行うので、広義でのレポーティングという点では彼らの仕事と通底していると思っています。
で、一般にレポーティングにおいては↓のようなことが大事だと言われています。
- メッセージをシンプルに明確にすること
- まず結論から入ること
- 得たい結論から逆算して全体を構成すること
さっきの「空・雨・傘」と言ってることが逆じゃねぇかと思われるかもしれませんが、その指摘はごもっともです。事実を客観的に分析するためのフレームワークと、主観情報をいかに力強く伝えるかというレポーティング技術が混在しているのが、ロジカルシンキングというものの罠だと思っています。
どうも賢い人ほどこの罠にハマるようで、2010年に大阪地検特捜部の強引な取り調べが社会問題化した際に、彼らの「ストーリーありき」の手法が批判の対象となりました。
「こうだったはずだ」という推論をまず立てて、それに適合する証拠集めや自白強要をしたことが問題視された件でしたが、これもまた検察官達が「得たい結論から逆算して全体を構成すること」を実践した結果なのだろうと思います。
こんなものを「論理的思考方法だ」などと言っているのだから、一般の方から見ると「専門家は信用できない」と思われてしまうわけです。
で、もしもマスコミのロジックの組み方もコンサルのそれに近いのであれば、彼らは「コロナ怖い」というシンプルかつ明白な結論から入り、それに合わない情報は捨象していくということを無意識レベルで行っているのかもしれません。
「メッセージは聞き手に合わせる」という罠
もう一つレポーティング術ですが、メッセージは聞き手に合わせろと言われます。
例えば新規事業についてプレゼンする際に、その会社の役員クラスに説明する内容と、現場担当者レベルに説明する内容は随分と違ったものになります。
役員クラスには経営判断に影響を及ぼすであろう概括的な情報を提示し、その根拠を一つ一つ説明したりはしません。根拠を求められた場合のみ、準備しておいたバックデータを見せるという方法をとります。
他方、現場担当者レベルには判断の根拠などを事細かに説明します。そのことによって詳しく状況を把握しておいてもらうというわけです。
で、もしもテレビ局の番組作りの方法もこれと同じだとすると、「この番組のメイン視聴者は高齢者だ→高齢者に響く内容にしよう」という形でコンテンツが決定されていくわけです。
バラエティ番組やドラマなどでこうした思考方法をとるのは自由なのですが、社会啓蒙的な意義を持つ報道番組でこれをやられてしまうと、ちょっと困ってしまうわけです。
なぜなら、先ほどの「空・雨・傘」のフレームで言うところの、「明日は雨が降ると思っている人」「傘を持っていくべきだと強く信じている人」の思いを補強するための情報収集に走ってしまい、正確な状況認識が出来なくなるのです。
しかし報道とは「空」の状況をなるべく正確に伝え、受け手側が「雨が降りそうだ」「傘を持って行こう」と判断すべきものです。「雨が降る」「傘を持っていく」という結論に合わせて空模様を伝える天気予報が当たると思いますか?
渋谷の若者は悪くない
聞き手重視の姿勢が混乱を招いている一例を挙げましょう。
- 東京の若者が街を出歩いている
- 東京の若者が街飲みをしている
- 東京の若者は危機意識がない
テレビ局は連日渋谷の状況を中継しては、「こんな悪い奴らがいるんですよ」と報じています。そしてこれを真に受けた田舎の父は「東京の奴らが言うことを聞かないせいで対策が進まない!」と本気で憤っています。
しかし東京住みの私から言えば、巣鴨だって渋谷と変わらない状況ですよ。満員電車は遠の昔に復活していますが、もしも出歩いているのが若者だけなら電車がガラガラじゃなきゃおかしいでしょ。
あと地方の人が家に閉じこもって外出しないという話も聞いたことがありません。
みんなみ~んな「緊急事態だ」と言いつつも日常生活に戻り、いつもの行動圏内での活動を再開しているのに、渋谷を行動圏にしている若者だけがすべての悪を背負わされているのです。
なぜこんなことになるのかというと、テレビを見ているのが高齢者なので「若者が悪い」という情報が求められているのが一点目。
そして地方に対して批判的な内容を報じると烈火のごとく抗議を受けるのに対して、都会は槍玉に上げやすいという点が二点目です。
またマスコミの事業体としての利害も関係しています。
「こんなに人がいっぱい歩いていますよ」と言って渋谷の状況は報じるのに、どれだけ混雑していてもスーパーやショッピングモールの様子は伝えません。まかり間違ってもイ○ンやイ○ーヨー○ドーといった大スポンサー様の商売の邪魔は出来ないからです。
同じく、アキバを歩いているオタク達をつかまえて「なんでこんな時に外出してるんですか」という街頭インタビューをしても、『名探偵コ○ン』や『○滅の刃』の映画館に来た客に対して同じことはしません。自分達も関与しているコンテンツだから。
私はショッピングモールやアニメ映画を悪者にしろと言っているわけではありません。ただ、そういったものが普通に集客しているという事実がある一方で、叩きやすいものの活動のみが批判の対象になっているのはおかしくないのかと言いたいのです。
本来、報道とは事実の要約であるべきなのに、聞き手側の好みや報じる側の都合によって実態とは異なる虚像が独り歩きしています。これは危険なことではないかと思います。
煽るのがマスコミの本能
また、煽るのがマスコミの本能ではないのかとも思うようになってきました。
マスコミには善意も悪意もなくて、「どうすれば読者・視聴者が反応するのか」という平時に刷り込まれた行動様式が、緊急事態においても無自覚の内に発動しているのではないでしょうか。
なので単純なマスコミ悪玉論を展開するつもりもないのですが、我が組織の欠点を自覚した上で自制する、緊急事態なのだから「受ければいい」という平時の行動様式を捨てるということをしていない点に、彼らの落ち度はあると考えています。
もっとも過激なコロナ煽りをしている朝8時の某番組が視聴率で躍進したという事実が示す通り、騒げば騒ぐほど視聴率が上がるのかもしれませんが、今は「平時の商売をやるべき時ではない」というのが彼らの主張ですよね。その論理で飲食店や旅客業者に休業を求めているではありませんか
ならば報道番組・情報番組も視聴者受けやスポンサー対策といった平時の感覚を捨てて、より幅広い公共心に基づいた情報発信を心掛けねばフェアーではないでしょう。
受けるからといって無闇に人心を煽らないということと、必要とあらばメイン視聴者や大スポンサーが嫌がることだって言うという覚悟。それもなしに他人の商売に口出ししてはいけません。
逆に、自分達の番組はいつも通りでいい、視聴者やスポンサーの顔色の方が大事だと言うのであれば、やはりコロナとはその程度の脅威だということになります。
幅広く情報を仕入れるという姿勢を
今のマスコミが事実を伝えているわけでもないことは明確なので、受け手側が賢くなる必要があります。情報は新聞社やテレビ局だけが握っている時代ではありません。ネットニュースにはいろんな情報が転がっています。冒頭で述べた情報はすべてネットニュースで仕入れました。
ただし私は「ネットの方が正しい!」と言っているわけではありません。ネットにはネットの問題はあります。
大事なのは自分で積極的に情報を取りに行くという姿勢、認識と違う情報にこそ敏感になろうということです。あと、マスコミが高齢者にとって耳障りの良いことばかり言ってたら要注意です。
コメント
この「雑感」シリーズ、感謝しています。
もちろん映画が好きで、
言わんドラゴンさんの文章が好きで訪れているわけですが。
憶測から妄想をたくましくする体質のボクは、
言わんドラゴンさんの文章を読むことで冷静になれます。
映画レビューはもちろんですが、「雑感」の方も楽しみにしております。
眞次 様
拙い私の文章をご覧いただけて感謝しております。
お役に立てているのであれば本当に光栄であり、これからも頑張っていきたいという励みになります。
この度は応援の言葉をいただき、ありがとうございました。
言わんドラゴさんすみません。
言わんドラゴンだなんて、
思い込みが激しいもので。。。
申し訳ありませんでした。
第一弾、第二弾とも、とても興味深く拝読しました。
私も、自分が安全なら他人はどうなってもいいという思考、叩きやすい人・業界を叩くといった構図は、今回のコロナ禍に限らず、10年前の原発事故の時あたりから違和感を覚えていました。マスコミの報道姿勢は、意図的に市民を分断して対立を煽っているように感じます。
また、マスコミは定性的なエピソードトークと感情論を垂れ流すばかりで、ろくな論証も出来ておらず本当に嫌になります。我々はデータリテラシーや論理的思考力をしっかり持たないといけないですね。
PV良くないとのことですが、雑感も引き続き書いていただけると嬉しいです。もちろん、映画レビューも楽しみにしております!
まつ太郎 様
コメントいただき、ありがとうございます。
第一弾のPVは本当に良くないので、読んでいただける方がいて飛び上がるほど喜んでいます。
原発事故も変でしたよね。原発は怖いという話ばかりで、原発はなぜ必要なのかという視点が全くない。一方的な情報ばかりで視聴者から考える機会を奪っているのは、情報を扱う業者として問題ではないかと思います。
私は単純なマスコミ悪玉論を唱えることはしないのですが、視聴者は複雑な議論には耐えられない、数字を読めない、難しいことを言うと番組が見られなくなるみたいな認識はどこかにあるのかなと思っています。
視聴者側が賢くなることでマスコミ側もレベルアップしてくれれば良い言論空間が出来上がるのでしょうが、今は全然ダメですね。マスコミの認識通り、視聴者側のレベルもあまりに低いので。
とりあえずうちの父の啓蒙から頑張ります笑
論理的思考がどうたら高説垂れてるかと思ったら、コロナは風邪論者かよw
批判的なコメントをいただけたのは初めてなので、これはこれで有難いです。
コロナは風邪とまでは言いませんが、人がバタバタと死ぬような殺人ウィルスという極端な捉え方も違うのではないでしょうか。
対策には社会的コストがかかっているのだから、新型コロナは果たして如何ほどの病気であるかは慎重に見極めるべきでしょう。
また騒動が始まって1年半が経とうとしており、「未知の病原体でどうなるか分からないので最大限の警戒を」なんてことを言い続けているステージでもないし。