アーカイヴ_亡き奥さんロボを作る男【6点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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テクノロジー
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(2020年 アメリカ)
テクノロジーを描いたSFで、光る部分はいくつもあるのだが、娯楽的な盛り上がりに欠けることが欠点。エッジは立っているがすべてがうまくいっているわけでもないという、良くも悪くも新人監督らしい出来栄えだった。

感想

亡き奥さんロボを作る男

テクノロジーで故人を復活させる系の映画。

この手のジャンルの場合、たいていがAI技術かクローン技術が主題になるのだが、ロボット工学をメインに据えたことが本作のユニークな点。

生前の人間の記憶なり思考パターンなりをデータベース化することでAIが故人と同等の思考をし、遺族らとコミュニケーションをとれるというテクノロジーは、この世界ではすでに実用化されているのである。

主人公が目指しているのは、自身の持つロボット技術により亡き奥さんのボディを再現し、そこにAIにより再現された頭脳と人格を乗せることで、生前の奥さんの完全再現をすること。

監督・脚本を務めたギャヴィン・ロザリーにとっては初の長編らしいのだが、『月に囚われた男』(2009年)の美術監督だけあって作品は一定の美意識に貫かれており、SF魂もちゃんと込められていて、なかなか良いものを見せてくれる。

限りなく人間に近い人間ではないもの

なのだが、主人公の願望が実現したところで、頭脳も肉体も奥さん本人のものではない。

それは限りなく奥さんに近い別物であり、そんな物体が身近にいて本当に幸せを感じられるのか、元の生活は戻ってくるのかという疑問は湧いてくる。たぶん私は無理だろう。

そして、その裏を返せば、限りなく人間に近い思考ができる人間ではないものが現れた時、我々はそれをどう扱うべきかという道義的なトピックが生じるということにもなる。

彼らの思考パターンは我々と変わらないのだから、我々と同じことで傷つき、苦しむということになる。ならば人間と同じように扱わなければ人道に差し障るのではないかと思うのである。

これは『ブレードランナー』(1982年)『ウエストワールド』(2018年)などで繰り返し描かれてきたテーマなのだが、本作でその矛盾を一身に引き受けることになるのが2号機である。

2号機の頭脳には奥さんのパーソナルが移植されており、主人公に対する愛着も示す。すなわち思考回路は人間と変わらないのであるが、ボディがASIMOのような見てくれなので、主人公は彼女を人間扱いしない。

彼にとって2号機は良く働いてくれる相棒ロボ程度でしかなく、主人公は主人公なりに2号機を大事には扱っているのだが、それはルークとR2-D2みたいな関係性なので、そのベクトルが根本的に間違っているのである。

他方、2号機は自分が本命である3号機を作るための試作機という自覚を持っているため、何とか主人公の役に立って己の存在価値を見出してもらおうと必死であり、その健気な姿が涙を誘う。

AIにまつわる道義的な問いかけや、2号機にかかるドラマは面白くて見応えがあった。

知的財産権を巡るごたごた

さらに本作がユニークなのは、ロボット工学の知財を持つ会社と、AIの技術を持つ会社は別個に存在しており、主人公のやろうとしていることは、他社の知的財産権の侵害に当たるということである。

こんな視点のSF映画はかつてなかったが、設定を突き詰めれば確かにそういうことにもなるだろうと、物凄く納得できた。

しかも、そうした知財問題があるものだから主人公は自分の研究をオープンにすることができず、たった一人で奥さんロボを作らねばならないという設定に結びついているのだから、実によく考えられた話である。

そして主人公の研究活動にはいろんな横槍が入ってくる。

上司は主人公が成果を上げられていない、これ以上何もできなければクビだとリモート会議で檄を飛ばしてくるし、現場の視察にやってくる者もいる。そして終盤にはリスク査定人なる者までが現れる。

こうした組織のパワーゲーム的な要素もよく考えられている。

…のだが、メインプロットにうまく絡められているわけでもないので、主人公が会社に嘘をついて進めている開発活動がバレたらどうしようかというハラハラ感がない。これが本作のアキレス腱だろう。

ちゃんと描けていればスリリングこの上なかったであろうサブプロットが効いていない。この部分が面白ければ良いアクセントになっただけに、脚本の詰めの甘さが悔やまれる。

ドンデンは面白いけど主題が薄れる ※ネタバレあり

最後の最後に、バーチャルなのは主人公側だったということが判明する。

このドンデンにはなかなか驚かされたのだが、それをやってしまうと「AIを人として扱うべきか否か」という主題がボヤけてしまう。

デッカード=レプリカント説によって主題が揺らいだ『ブレードランナー 最終版』と同様のミスを犯しているのである。

人間とAIのボーダーを壊すのではなく、明確なボーダーを守った上で、我々は彼らとどう付き合わなければならないのかというトピックを突き詰めて欲しいところだった。

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