(2022年 アメリカ)
イケメンと仲良くなったら肉を喰われましたというホラー映画なのだが、スプラッタ描写を用いずにカニバリズムを描いたという点でエッジが立っている。社会考察的な含みもあって、全体的に意義深く面白い作品なのだが、内容に対して上映時間が長すぎるのだけは何とかして欲しかった。この内容で2時間近い上映時間は途中でダレる。
作品解説
アダム・マッケイ製作
本作を監督したのは、これが初の長編となるミミ・ケイヴ。女性監督である。
そしてプロデューサーには『マネー・ショート 華麗なる大逆転』(2015年)『バイス』(2018年)のアダム・マッケイの名があるのだが、これには脚本を書いたローリン・カーンがマッケイの元アシスタントであることが影響していそうだ。
本作はマッケイが設立した製作会社ハイパーオブジェクトインダストリーズの第2回作品として製作された。
なお、同社の第一回作品はアダム・マッケイ監督の『ドント・ルック・アップ』(2021年)だった。
ディズニープラスで配信
本作の配給権を持っていたのは、20世紀フォックスのインディーズ専門レーベルであるフォックスサーチライトだが、フォックスがディズニーに買収されたことで、本作の実質的な所有者はディズニーとなった。
で、ディズニーは本作をストリーミング公開することに決定し、アメリカではHuluで(こちらもディズニー資本)、それ以外の地域ではディズニープラスで公開された。
本編を見るとディズニー映画へのディスりもあるのだが、よくぞあのセリフをカットせずそのまま自社メディアで配信したものである。
感想
主人公の恋愛下手が実に良い
主人公ノアは恋愛アプリで彼氏探しをしている普通の女性。
演じるデイジー・エドガー・ジョーンズは主にテレビドラマに出ている人らしいのだが、顔立ちだけを見れば物凄い美人さんだと思う。若い頃のメアリー・エリザベス・ウィンステッドの感じに似ている。
ただし、全体として見た時に過剰な色気や華があるわけでもないので、男が寄って来ないといわれても、そこまで不思議ではない。
美人だけどモテなさそう、こういうのを配役の妙というのだろう。
なぜ彼女がモテないのかと考えると、大失敗だった冒頭のデートで無神経な男から指摘された通り、彼女のファッションにも大きな問題があると思う。
初デートだというのに着飾ることなく、出勤時とほぼ変わらない格好でやってくる。
ファッションとは一義的には自分を美しく見せるためのものだが、それに付随して、自分はどういう人間であるか、この場にどういう心境で臨んでいるかというシグナリング的な機能も有している。
そして彼女の場合、着ている服が似合わなくはないのだが、その服装を通して恋愛に対する無頓着さみたいなのが滲み出てしまっているのである。だから異性を本気にさせない。
私は男であるが、ノアと同じく服装に無頓着で、誰かに指摘されない限り自分の中で定番と決まった服をワンシーズンに渡って着続けるタイプなので、こういう生き方のデメリットはよく知っている。
そして彼女は恋愛下手、デート下手で、自己演出がうまくないので、実際の魅力の2割減くらいで相手に伝わっているという逆キャバ嬢状態なのも問題である。
こちらもまた「そういう残念な人いるよなぁ」と身近に思い浮かぶレベルの人物像なので、ノアに対してとても親近感がわいてきた。
しまいにはヤケになって、女友達と「恋愛なんて要らないわよね」なんて言い合う。こういう女子もよくいるよね。
なんだが、本作が責めてるなと思ったのが、「私たちはディズニープリンセスを見て育ったせいで、王子様が必要であるとの刷り込みを受けている」的なセリフがあったこと。
ディズニー配給なのによくこんなセリフを言わせたなと思うし、ディズニーもディズニーで、自社に対するディスりを修正させなかったんだと、妙なところで感心したりもした。
我らがバッキーが女子を誘惑
そんなノアがいつも通りにスーパーで買い物をしていると、ちょっと挙動のおかしなイケメンに声を掛けられる。
演じているのはMCUで我らがバッキーを演じているセバスチャン・スタンなのだが、本作での役名がキャップと同じスティーヴなので、ちょっとややこしい。
このスティーヴがノアとは対照的に自分の見せ方を完璧に知っているタイプであり、ノアが恋愛下手だと見るや、彼女の温度感に合わせたアプローチをしてくるなど、実に手練れたところを見せる。
で、ノアは完全にスティーヴに夢中になってしまうのだが、こいつには裏があったというのが本編の内容となる。
生き方に不器用な主人公と、そこにすり寄ってくる異性という構図は往年のファムファタールものなのであるが、性別をひっくり返すことで新たな意義づけをした辺りが、本作の脚本の秀逸さなのだろうと思う。
ラブコメかと思いきや悪魔のいけにえだった
実はスティーヴは富裕層相手に若い女性の肉を販売しており、ノアはそのターゲットにされた模様。
ラブコメを思わせる冒頭からは思いもよらぬ展開で、この転調に私は驚いた。
ただし登場時点でスティーヴはテキサス出身と名乗っているので、熱心なホラー映画ファンならばその時点で違和感を持つだろうが。
この話は『悪魔のいけにえ』(1974年)だったというわけだが、惨劇の舞台となるのが人里離れた場所にある美しい邸宅であるという点からは『ムカデ人間』(2011年)的なものを感じたし、財力を持つ最終消費者のために殺戮を代行しているという構図からは『マーターズ』(2008年)的なものも感じた。
古今東西のグロテスクなホラーの落穂拾い的な作品になっているわけで、製作者は熱心なホラー映画ファンなのだろうと思う。
だがしかし、本作には派手なスプラッタ描写がない。それが独特な部分となっている。
直接的な人体損傷はほぼ描かれず、血を見ることすらほとんどない。ただし生理的嫌悪感を抱かせるような独特な雰囲気はあるので、終始いや~な気持ちにはさせられる。
さすがはアダム・マッケイのスタッフだけあって、演出の精度が実に高いのである。
加えて、カニバリズム物は対象を殺してから喰うという流れをとるのが一般的であるところ、本作の場合は脚や尻など、切り取っても死なない部位を少しずつ食肉として提供し、対象を生かし続けるという点も独特。
ここに殺戮者と獲物との間にコミュニケーションが発生するという点が、ホラー映画としての新機軸となっており、対象を問答無用で殺戮するレザーフェイスとは異なる芸風ということになるのである。
含意に富んだホラー ※ネタバレあり
この物語からは、文字通り「権力者の食い物にされる若い女性」という構図が読み取れる。
殺戮者自身が人肉を消費するわけではなく、もっと上の奴らのために働いているという図式からしても、これが権力に関わる話であると考えて間違いないだろう。
また、女性が男性からの一方的な攻撃を受けるという図式からは、フェミニズム的な意義も読み取れる。
元はスティーヴの獲物だったのに、上手く取り入ってその支援者になったスティーヴの妻に対する「あんたのような女のせいでみんな迷惑するのよ」というセリフは、まさにその文脈を反映していると思われる。
バーテンの男がスティーヴ宅を突き止めるのだが、ヤバイと思って引き返すという展開も同じく。もしあそこでバーテンが突入していれば、王子様を待つディズニープリンセスの話になってしまう。
男は敵、もしくは役立たずで、女が協力してこれを乗り越えるというストーリーだからこそ、全員でスティーヴをボコボコにするラストには『デス・プルーフ』(2007年)のような興奮が宿っているのである。
加えて、本作には食肉文化全体に対する異議申し立てがあるような気もした。
生き物を養って、その肉を喰らう。その一連のプロセスのおぞましさをホラー映画として表現したものであり、食事場面の意味深さを見ても、その筋は読み取れる。
人が傷つけられたという流れでステーキやら挽肉やらを映し出して、見る者に「ウゲ~」とさせる場面が何度も登場するので、鑑賞後には肉を食べる気が完全に失せた。
本作のベースだと思われる『悪魔のいけにえ』も、ベジタリアンのトビー・フーパーが「もしも家畜にやってるのと同じことを人間にしたら」という着想で作った映画だったしね。
内容に対して上映時間が長すぎ
とまぁ意義深く面白い映画だったのだが、2時間近い上映時間は長すぎたかな。
特に監禁後のノアのドラマは単調だったし、同じことの繰り返しに感じられたので、90分程度にサクっとまとめてくれると、より見やすかったかも。
コメント
敬語使わなくなりましたね、なんかあったんですか?
“ですます調”だと文章を書くのに時間がかかるんですよ。
最近、仕事の残業が増えてきて趣味に使える時間が地味に減ってきたので、素早く書ける”である調”に一時的に変えてます。
印象がかなり変わっていますけど、特に何かあったわけではありません笑
すみません、ちょっと一言
ノアのファッションに関してですが
適当なのではなく、ああいうカジュアルなファッションなんですよ…
靴下とコンバースの組み合わせとか、
ゆったりニットをデニムにインさせるとか
はっきり言ってめちゃんこお洒落ですよ汗
あなたのような男性の好きな女性らしい服装でないから異性にモテないと言われても…
自分の好きな格好をして、そのスタイルを良きとする人と出会いたいだけです。
押し付けがましい男からの脱却と諦めを表現した素敵な映画でしたね!
外見だけ男性好みに寄せた要領の良い女性にお気をつけて!!!