第七の予言_前フリ以外面白くない【4点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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終末
終末

(1989年 アメリカ)
子供の頃にレンタルビデオで見て「なんかショボイ…」と感じた映画で、最近Netflixに上がっていたので再見しましたが、印象は昔と同じく。スケールの大きな冒頭だけは面白いのですが、その後は尻すぼみに悪くなっていくというガッカリ映画でした。

作品解説

全米大コケ作品

本作は1988年4月1日に公開。4月は年間で最も公開作品が充実していない月なので比較的1位はとりやすいはずなのですが、ティム・バートン監督の『ビートルジュース』(1988年)やマイク・ニコルズ監督の『ブルースが聞こえる』(1988年)に敗れて初登場5位と低迷。

その後も売上高は不調なままで、全米トータルグロスは1887万ドル。興行的には大失敗でした。

感想

冒頭はかなり面白い

海の魚が大量死、砂漠の集落が凍り付いて全滅、川が血に染まるなど、大規模な災害が次々と発生。そこには必ず深刻な顔をしたユルゲン・プロホノフがいるのですが、人外の気配を放つプロホノフは案の定イエス・キリストでしたという設定です。

実際のイエスは中東人なのでゴリゴリのゲルマン系であるプロホノフとは似ても似つかないはずなのですが、そうはいっても「何となくみんなの頭の中にあるイエス像」には極めて近く、昨今のホワイトウォッシングという問題を度外視すれば、これはなかなかのナイスキャストだったと言えます。

で、これらの災害はヨハネの黙示録で予言されていた事項らしいのですが、聖書に明るくない私には何のことだかよくわかりませんでした。

ただしそれぞれの見せ場のインパクトは強いうえに、魚の大量死は放射性廃棄物、砂漠の氷結は異常気象、血の川は人間が起こした紛争などそれぞれに現実的な原因が設定されており、後の『エクソダス:神と王』(2012年)を先どったアプローチはなかなか面白いと感じました。

この通り本作の冒頭はよくできており、続く本編への期待も高まりました。

盛り上がりきらない本編

舞台はアメリカへと移ります。

主人公アビー(デミ・ムーア)は出産を控えた妊婦であり、過去に流産した経験があるためおなかの子供に対する愛情が特に強く、まだ出産もしていない段階なのに将来通わせるつもりの幼稚園の見学をし入園料までを事前に支払っています。

その旦那ラッセル(マイケル・ビーン)は弁護士で、両親を殺した少年の弁護を担当しています。人柄は良いのですが、仕事熱心なのでアビーのことはほったらかし気味。

で、この夫婦は将来的に子供を持つことを想定した家に住んでいるのですが、夫婦二人っきりの今は部屋が余っているので、その部屋を間貸ししようとしています。そこに応募してくるのがなんとイエス様(二人に対してはデヴィッドと名乗っている)。

デヴィッド(イエス様)は大きな物音をたてたりしない理想的な入居者である反面、いきなり意味深なことを言い出したり、部屋にはヘンテコな古文書みたいなのがあったりと気色が悪い部分もあるので、ラッセルは引き気味。

一方アビーはデヴィッドに関心を持つのですが、「ガフの部屋は空っぽなので君は流産するよ」などと嫌なことを言われて、デヴィッドを悪魔的な何かではないかと疑い始めます。『新世紀エヴァンゲリオン』をご覧になった方にはおなじみの通り、ガフの部屋とは神の館にある魂の住む部屋のことです。

で、ここからはアビーがデヴィッドの正体を突き止めようと必死になるのだが、出産前の情緒不安定を疑われて周囲の理解や協力を得られずどんどん孤立していくという『ローズマリーの赤ちゃん』(1968年)みたいな方向性が模索され始めます。

ただしどうにもこれが中途半端。

この夫婦とデヴィッド以外にほとんど登場人物がいないのでアビーの孤立があまり切実に伝わってこないし、そのうちにアビーの言うことを信じてくれるユダヤ人青年という仲間ができてしまうので、主人公と観客に対してストレスを与えきらない状態でリリースしちゃったという感じになっています。

この辺りの心理劇はもっと深堀りすべきではないかと思います。

違和感の多い終盤 ※ネタバレあり

古文書を読めるユダヤ人青年の助力もあって、ヨハネの黙示録の七つの予言の通りに事が進んでいるということが判明。

  1. 死の海
  2. 凍り付く砂漠
  3. 血の川
  4. 巨大な雹
  5. 最後の殉教者
  6. 太陽の死
  7. 最後の出産

「7.最後の出産」が恐らくアビーのおなかの子供のことであり、事態はすでに「4.巨大な雹」までが消化済。そして子供を何としてでも守りたいアビーは「5.最後の殉教者」を救うことで全体を食い止めようとします。

で、最後の殉教者とは夫ラッセルが弁護中の少年なのですが、ラッセルの努力もむなしく少年の罪は確定しており、すでに死刑執行を待つ身となっています。そして少年を死刑から救い出そうとするアビーの戦いが最後の争点となります。

なのですが、この少年が問われている罪というのが近親相姦の末に自分を生んだ両親の殺害容疑なので、キリスト教圏でこれをどう解釈するのかはともかく、私の目からすると「普通に罪人だろ」という感じでした。決して殉教者などではないなと。

両親を殺害した少年を死刑から救い出そうとする主人公という構図が感覚的に飲み込めなかったうえに、そのためにアビーのとった方法が執行現場に乗り込んで死刑を物理的に止めるというとても阿呆なものだったので、まったく手に汗握りませんでした。

仮にアビーが物理的に死刑を妨害できたところで、アビーを排除すれば仕切り直しで再度執行がなされるわけで、何の解決にもならないわけです。助命運動など現実に即した方法ではなかったのでガックリでした。

結局アビーは少年を救うことができずに予言は進行。子供も死産するのですが、直後に我が子を守るためにアビーがその身を投げだしたことで神様が翻意して予言は回避されて終了。

なのですが、子のためならわが身も厭わない母の愛情を神様は今の今まで知らなかったのだろうかと、このオチにも釈然としないものがありました。

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