バービー_フェミニズムvsダイバーシティ【5点/10点満点中】(ネタばれあり・感想・解説)

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キャラもの
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(2023年 アメリカ)
玩具をモチーフにしている割には思想性が強く出過ぎていて、すんなり楽しめるでもない作品。また、その思想をうまく表現できているわけでもないので、表面的に受け取ると不快に感じる人が大勢出るであろう地雷映画(実際は結構ニュートラルなのだけれど)

感想

娯楽作としては今一つ

2023年の世界興収No.1の大ヒット作だけど、あまり興味を持てなかったのでスルーしていた。最近、Netflixでの配信が開始されたので見てみたけど、やはり私の好みとは違った。

お人形遊びをした経験もなければ、真っピンクの世界観に愛着を覚えるわけでもない私のような中年男性は本作の想定顧客ではないはずなので、当然っちゃ当然の結果ではあるが。

バービーランドに住むバービー(マーゴット・ロビー)は完ぺきに女の子らしい生活を送っていたのだが、ある日ヒール靴を履けない足になり、死への漠然とした不安も持つようになった。

バービーランドにあるまじきこれらの事態は、おそらく現実世界からの悪影響だろうということで、それを正すべく現実世界への旅に出るというのがざっくりとしたあらすじ。

ファンタジーと現実世界の邂逅というテーマ自体は珍しいものではなく、『ネバー・エンディング・ストーリー』(1984年)や『トイ・ストーリー』(1995年)、あるいはアーノルド・シュワルツェネッガー主演の『ラスト・アクション・ヒーロー』(1993年)などもその系譜にあたる。

ただしこれらの過去作品はアクションや冒険など男の子らしい要素てんこ盛りであり、少年の成長譚として構築されることが圧倒的に多かった。それを女の子らしい世界観で展開したのがこの企画の新しさだといえる

(「女の子らしい」「男の子らしい」という表現が現代社会ではビミョーであることは重々承知だけど、作品の説明のためにあえてこの表現を使っておりますので、悪しからず)。

この企画ならば、男の子の大好物(車、ロボ、銃火器、エロい同級生etc…)で画面を埋め尽くした『トランスフォーマー』(2007年)と同じアプローチをとっても良かったんじゃないか。

女の子が「かわいい!」「素敵!」「最高!」と思う世界観を徹底追及すれば、それはそれで見世物として面白くなったと思うんだけど、そうはなっていないのが本作の欠点だと思う。

バービーの添え物でしかないケン(ライアン・ゴズリング)のアイデンティティを巡る葛藤とか、昔ながらのフェミニズムと最近のダイバーシティの対立とか、玩具をモチーフにした冒険ものとは思えないほど現実的な視点がいくつも入ってくる。

これらを肯定的に見られるか、余計なノイズと捉えるかが評価の分かれ目なのだろうけど、私は好意的に受け止められなかったかな。

もちろんクリストファー・ノーランのようにメッセージ性と娯楽性を高度に融合させられる監督もいるけど、本作の場合はメッセージ性が前面に出過ぎていて、肝心の娯楽性が二の次にされている感じがした。

監督・脚本を務めたのは俳優でもあるグレタ・ガーウィグで、私生活のパートナーであるノア・バームバックも共同で脚本に参加している。私はこの二人の作風を愛しているし、過去作品も大好きだけど、この企画の適任者ではなかったように感じる。

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バービーランドのみならず現実世界までが作り物っぽく演出されているので、ファンタジーと現実の対比が成立していないし、バービー軍団vsケン軍団の主導権争いは悪い意味でコミカルに演出されている。

あのパートには幾ばくかのスリルも必要だったと思うが、そうした要素はこれまでのガーウィグやバームバックの作風にはないもので、監督のやれる範囲内で処理されてしまった感がある。

思想的には良いところと悪いところが半々

・・・というのが作品の感想なんだけど、本作と切っても切り離せないのがジェンダー論争なので、その点にも触れておきたい。

本作が全米公開されるや、保守系の知識人たちから一斉に嚙みつかれた。

この映画の基本的なテーマは、男性と女性は反対側にいて、お互いを嫌っているのだということ。世の中を平和にするためには、女性は男性を無視し、男性は女性を無視するべきということだ

ベン・シャピロ(米国の保守系コメンテーター)

地球や自分たちをダメにする男たちを入れずに、女性だけで世の中を仕切ることだというメッセージを送るもの

ピアース・モーガン(英国のジャーナリスト)

また世界から1か月遅れての日本公開時にも同様に批判の声が上がった。

映画、バービー観た。最初の方はお洒落だし可愛いし笑いながら観てたけど後半になるにつれてだんだん冷めていった。なんか強烈なフェミニズム映画だった。男性を必要としない自立した女性のための映画。こんなの大ヒットするアメリカ大丈夫なの?

奥浩哉(『GANTZ』の原作者)

本作への批判者たちは、作品に女尊男卑的なものを感じ取ったようだ。その批判は半分的外れだし、半分当たってもいる。

まず、本作の対立構造は彼らが言うほど単純なものではない。

冒頭にて、バービー人形爆誕の瞬間が『2001年 宇宙の旅』(1968年)のパロディとして描かれる。

それまでの人形と言えば赤ちゃんを模したものばかりであり、女の子のお人形さん遊びとは、自身を母親に置き換える遊び方一択だったところに、バービー人形が現れた。

バービー人形は女の子が「なりたい自分」を投影できるおもちゃであり、パイロットや宇宙飛行士など、従来は男性のものとされてきた職業もバービー人形のモチーフとされた。すなわちバービー人形は、1960年代から70年代にかけてのウーマンリブ運動の申し子だったわけである。

そんなもんだからバービーランドのバービー達は、自分たちが女の子たちからの憧れの的だとばかり思い込んでいるのだけど、現実世界にやってくると周囲からの反応がどうにもおかしい。

彼女らが背負ってきたのは「家から出てかっこよく生きる女性像」だったのだけれども、それもまた人間を一つの型に押し込めるドグマ(教義)であって、本当の自由ではなかったというわけだ。

自由主義者達が「やってはならんこと」を勝手に決めて他人に押し付けたがるという倒錯した行動はしばしば見られるが、バービー人形を取り巻く思想にも同様のことが起こっていた。

その象徴的な存在が、妊娠しているバービーである。

マテル社が一度販売したものの、すぐに絶版にしたというナレーションが入るのだけれども、それはすなわち、妊娠して良妻賢母になるという少女の目標はあってはならんというドグマが存在するということだ。

かくしてバービーは自分たちが無意識のうちにしていた「フェミニズム的な価値観の押し付け」に気づき、多様な生き方を許容するようバービーランドを変えていくというのが大まかなストーリーで、最終的には「お母さんになることに憧れる少女」も許容する(最後にバービーが婦人科を訪れるのはそういうこと)。

すなわち本作は、昔ながらのフェミニズムに対する異議申し立てを出発点とした作品であり、ジェンダー対立を意図したものでもない。だから「女尊男卑」の筋で受け取った識者たちはメッセージの読み違えをしていると思う。

ただし作品側にも瑕疵はある。多様性の掘り下げ方は不十分だと感じた。

もしも多様性を尊重するのであれば、一時期ケンが陥ったマッチョ主義も、思考停止してマッチョ男に追従することにした女性の生き方も、等しく許容されなければならないだろう。

私が思う多様性とは、「気に入らない奴がいたとしても、実害がない限りはお互い口出しせずにおこう」なのだけれども、本作ではマッチョ主義も、それに追従する女性の価値観も許容されない。

多様性を叫びながら、最後には価値観による線引きをしているのだから、その線引きがユルめか厳しめかだけの違いにしかなっていない。

こうした思想的な不徹底と、あとはケンがヒール役を担っているという構成から、全体として男性が悪く見えてしまっていることは否めない。これでは、本作を男性批判映画として捉える観客が一定数出てもおかしくはないだろう。

もちろん、それは製作者側の意図したところではなく、よく見ればケンは可哀そうな奴であるという描写はちゃんと存在している。

元のバービーランドは女尊男卑的な社会であり、ケンは添え物でしかなく、バービー達はケン達がどこで寝泊まりしているのかすら気にかけてこなかった。

あまりに何の役割も担わされてこなかったケンだったので、現実世界に来て時間を聞かれただけでも「自分に役割を与えられた」と感動してしまい、それが突き抜けてマッチョイムズへと突入してしまう。

こうした背景もちゃんと描かれているので男性を悪しざまに扱った物語ではないのだが、それにしても観客側がちゃんと見ていないと気づけない程度であり、表面的には「男は悪者」と見えてしまっている。

もしもこれが男女逆だったら許されないレベルであろうことも確かなので(演出意図を汲み取っていただければ・・・で許されるほど女性差別はおおらかに扱われていない)、ケンの描写には配慮が足らなかったと思う。

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