ファースト・マン_面白くないことが問題【6点/10点満点】(ネタバレあり・感想・解説)

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実話もの
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(2018年 アメリカ)
昨年末より映画館ではロクな新作が公開されておらず、近所のシネコンでは数か月に渡って『ボヘミアン・ラプソディ』がIMAXスクリーンを占拠し続けるという異常事態が発生していたのですが、そんな飢餓状態を打開する新作として期待していたのが本作でした。
『アクアマン』との同日公開でマン・マン対決となったのですが、私が観たかったのは断然こちらの方だったので、アクアマンを差し置いて見て参りましたよ。

監督はデイミアン・チャゼル

監督は、みなさんご存知デイミアン・チャゼル。1985年生まれの34歳で、これまでに監督した長編2作品がどちらも映画史に名を残すレベルの傑作という、このままいけばキューブリッククラスの監督に成長しかねないほどの勢いを持った人材です。

脚本はジョシュ・シンガー。元はテレビドラマの世界に居た人であり、『ザ・ホワイトハウス』や『FRINGE/フリンジ』などを手掛けていました。2010年代に入って映画界に進出し、『スポットライト 世紀のスクープ』『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』といった硬派な社会派作品を手掛けています。

感想

ハイレベルなストーリーテリングの技術

この通り、映画作りがうまい人二人が組んだ作品だけあって、内容は非常にハイレベルでした。

時代の再現度や要約力は素晴らしく、また本来難しい話を分かりやすく説明することもできており、基礎がとてもしっかりとしているのです。

例えばジェミニ計画開始の際に、カイル・チャンドラー扮するディークがパイロット候補者(+映画の観客)相手に計画の概要を説明するのですが、大気圏を出ることが目的だった従前の宇宙計画と、月を目指すジェミニ計画・アポロ計画とでは難易度が別次元であることを黒板ひとつで表現してみせるという説明のうまさ。

また、ジェミニ計画とアポロ計画との関係性なども非常に分かりやすく伝えてみせます。

他方で、アポロ計画が採用したドッキング方式は作品の重要なファクターではあるものの、観客に詳細までを理解させる必要はなかったので、観客に対して「分からなくても大丈夫」というメッセージを送っています。

アームストロングが奥さんに対してこれを説明する場面を挿入し、「まったく分からないわよ」という奥さんのリアクションを見せているのです。このストーリーテリングの技術は本当に見事なものだと思いました。

またアームストロングにとって重要だった幼い娘の死というイベントも、非常に的確かつ簡潔に処理されています。

娘の葬儀の日に自室で号泣した後、その名前が書かれたチャームを机の引き出しに締まって、アームストロングは娘の死を心の奥底に締まい次のステップに移る決意を固めたという描写としているのです。下手な監督に撮らせるとグダグダと長いセリフを要したかもしれないこの場面を、きわめて短い描写で処理してみせた要約力には驚かされました。

そして、このチャームは思いもよらぬ場面で再登場するのですが、この小道具ひとつだけで深遠なドラマを紡いでみせた監督と脚本家の手腕には舌を巻きました。

ヒーローの偉業を称える映画ではない

宇宙事業は前向きに描かれることが多く、1983年の『ライトスタッフ』も1995年の『アポロ13』も、困難に挑んだ宇宙飛行士とNASAの技術者たちを称える内容となっていたのですが、本作はこれらとは全く異なるアプローチをとったという点に特殊性があります。

完全にネガティブサイドに重心を置いているのです。

宇宙開発の初動段階では完全にソ連に遅れをとったので、これを取り戻すためには月くらい目指しとかないといけないという消極的な理由が計画の根本にあったこと、当時の宇宙事業はすべてが手探り状態で、パイロットを死なせることが多かったことなどが一切の手加減なしで描かれています。

とりわけ凄かったのがアポロ11号発射前夜の光景であり、通常の映画では「パパは怖くないの?」「大丈夫さ。ママと一緒にパパの帰りを待っててくれよ」なんていうどうでもいい親子の会話が繰り広げられるそうな場面なのですが、この映画は全然違います。

ほぼ死にに行くようなミッションなのでアームストロングは家族に対して明日自分がやることをどう説明していいのか分からず、自室に閉じこもって荷造りしているフリをして時間を潰しているような状態です。

その後、奥さんに促されてようやく二人の息子と顔を合わせ、まだ幼い次男こそ「パパは僕の水泳大会を見に来れないんだね」なんて悠長なことを言っていますが、長男は十中八九、自分の父親は死ぬのだろうということを分かっています。死に臨む父親を送り出す重苦しい別れの場面として組み立てられているのです。

NASAはNASAで、宇宙飛行士達が死んだ場合の対応手順の最終確認をしており、葬式のような重苦しさが画面を席捲します。そこに、偉業を成し遂げた英雄を称えるという姿勢など皆無なのです。

宇宙飛行士目線の徹底

通常、宇宙ものではロケットや宇宙飛行士を第三者的に眺める視点が多いのですが、本作では徹頭徹尾飛行士側の視点で見せることにこだわっています。ロケットの扉が閉められた後、閉まった扉を外から眺めるのではなく、視点が船内に留まり続けるのです。

こんな映画はありそうでありませんでした。

私は閉所恐怖症ではないのですが、それでも重い扉がバタンと閉められた瞬間には大変な息苦しさを感じたし、これまでの映画で描かれてきた以上に船内が狭かったという点にも新鮮な発見がありました。

恐らく監督は意図的にやっているのでしょうが、宇宙船を棺桶のように感じさせる撮り方をしています。

ただし映画としては面白くない

上記の通り、非常にハイレベルなストーリーテリングの技術が用いられている上に、題材の切り取り方にも特殊性や新奇性があって、優れた映画であると言えるのですが、如何せん、面白くないことが問題でした。

監督と脚本家があえてそうしているのだから当然なのですが、高揚感が皆無なので映画としての山を作れていないし、視点選択もパイロット目線なので、派手な見せ場がありません。硬派にまとめ過ぎているのです。

観客を楽しませる視点がもう少しあれば見違えるほど素晴らしい作品になった可能性もあっただけに、この映画の徹底した娯楽性のなさは残念でした。

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