ノーカントリー_老人のボヤキは正しいのか【7点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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サイコパス
サイコパス

(2007年 アメリカ)
殺戮の限りを尽くすアントン・シガーの圧倒的な存在感によりスリラーとして一級品なのですが、一度見ただけでは何言ってんだか分からない蘊蓄部分にも深いものがあって、これはこれで何度も鑑賞する動機になって楽しめました。

面白いが難解な作品

公開されるやその年の賞という賞を総なめにし、同年のライバルであった『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』や『フィクサー』にはぺんぺん草も残らない状況を生み出した本作ですが、内容はあまりに難解で一度見ただけでは理解不可能。本作を評価した偉い人達も、本当に内容を把握できていたのかは怪しいところです。

まぁアントン・シガーの素晴らしいキャラ立ちと、心臓が止まりそうになるほどの緊迫感溢れる見せ場で2時間は余裕で引っ張れているので深く理解しなくても楽しめる映画ではあるのですが、せっかくなので内容を解釈してみました。

タイトルの意味

本作の原題”No Country for Oldmen”は19世紀の詩人・イェイツの『ビザンチウムへの船出』の冒頭を引用したものであり、その全文は以下の通り。

それは老いたる者たちの国ではない。
恋人の腕に抱かれし若者たち
樹上の鳥たち
その唄と共に、死に行く世代たち、
鮭が遡る滝も、鯖にあふれた海も、
魚も、肉も、鶏も、長き夏を神に委ね
命を得たものは皆、生まれ、また死ぬのだ。

『ビザンチウムへの船出』ウィリアム・B・イェイツ 著

現実主義に傾倒する社会に対してイェイツは神秘とロマンにこだわり続けた詩人でした。

そしてビザンチウム(現在のイスタンブール)はかつて芸術の都として繁栄した都市であり、イェイツはこれに老いや死を超越した芸術のユートピアを象徴させています。

この詩は、老いさらばえて社会から取り残されイェイツが、芸術の世界でなら永遠に生き続けられることを夢想して詠んだものでした。

いろいろ難しいことを書いてきましたが、要約するとこのタイトルは社会について行けなくなった老人のボヤキを表しているということです。

キャラクター達が象徴するもの

【ベル保安官】老人の懐古趣味

一見すると本作はモスが主人公の映画のように見えますが、冒頭とラストのモノローグにより、主人公はベル保安官(トミー・リー・ジョーンズ)であることが分かります。

そしてベル保安官は本編の要所要所でイェイツのように「今の世の中はどうなっているんだ。俺はこんな世の中にはついていけない」とぼやき続けます。

では、ベルのぼやきは的を射たものなのでしょうか?

これを判断する上で重要な情報が本編中にふたつあります。

一つ目は、ベルの祖父の代に保安官補を務めていた老人の話。この老人は、強盗による襲撃でベルの祖父は惨殺されたと言います。

二つ目は、ベルが見たという夢の話。登場するのは彼と彼の父親で、父は若くして死んだから息子の自分の方が老けていたと言います。つまりベルは父親よりも長生きしているのです。

祖父の代にも父の代にも理不尽な理由で人命が奪われることはあり、ベルが嘆くような現実は今の世に特有のものではないことがこれらの情報から読み取れます。

また、本編の年代が現代ではなく1980年に設定されていることも、いつの時代にも老人は「今の時代は最悪だ。昔は良かったのに」とぼやくものだということを暗に示しています。

【殺し屋シガー】理不尽で暴力的な世の本質

ではその世の本質とは何か?

それは殺し屋シガー(ハビエル・バルデム)が象徴する理不尽で容赦のない暴力です。

同じ標的を追う同業者、親切にしてくれた一般人、さらには雇い主まで殺してしまうシガーの行動には理屈も合理性もありませんが、人の運命とはそういうもの。

立派な人でも事故や病気で命を奪われるし、長生きする悪人もいる。運命の前で人の考える理屈やモラルなど取るに足らぬもので、その無目的さゆえ、それはコインの裏表のようにシンプルである。

コイントスで自覚のないまま生きる道を得たおやじに、シガーは「この幸運のコインを大事にしろ。ポケットにしまえば他のコインと混ざってしまうから、ちゃんと持っておけ」と言います。

運命とは予告もなくやってくるため、これを回避しても多くの人はその幸運に気付きません。しかし何十年も何事もなく生きていることが不運に捕まらなかった証なのだから、その有難みを認識して大事にしろとシガーは言うのです。

【モス】幸運に無自覚な若い世代

そんなシガーに追われるモス(ジョシュ・ブローリン)は、幸運に対して無自覚な若い世代の代表。

目撃者なしで大金を拾う幸運を一旦は掴むものの、その偶然性の分からないモスは現場に戻るミスを犯し、素性を知られてしまいます。

また、シガーに追い付かれる寸前で発信器に気付き、待ち伏せする機会を得て襲撃から生き延びますが、またしても彼はその幸運を認識できず、実力で切り抜けたと勘違いして対決姿勢を強め、それが自分だけでなく妻の命も奪う結果となります。

一見すると頭の弱そうなモスの妻は、本編中で唯一、シガーと噛み合った会話ができた人物でした。ベラベラとよくしゃべり、妻にあれこれと指示を出していたモスがシガーの意図するところをまるで理解できていなかったこととは対照的です。

なお、当初コーエン兄弟は27歳のヒース・レジャーをモス役に希望しており、より若い世代に見せたかったようです。

では、老人達は世の本質を理解できているのか

幸運を理解できなかった若いモスは身を滅ぼしましたが、ではこの社会を生き抜いてきた老人達はこれを理解できているのでしょうか。

本編のラストで、ベルは夢の話をします。「俺はどこかの町で親父に金をもらい、それを無くした」。

ここで親父からもらった金とはシガーによるコイントスの話と対応しており、ベルは幸運を得た場所を定かには覚えておらず、しかもそれをなくしてしまったと言います。終始、達観したような物言いをしていたベルもまた、幸運の有難みを認識していないモスと大差がなかったのです。

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コメント

  1. 通りすがりの映画好き より:

    やべえ。個人的にどストライクのブログ見つけた。

    今後チェックすることにします。

    突然すいません。