(2013年 アメリカ)
少女誘拐事件の被害者家族が、容疑者に凄まじい暴行を加えるという衝撃作なのですが、それを通して被害者と加害者の同一化や、善悪のボーダーレス化、引いては神の不存在までが描かれるという裾野の異常に広い作品でした。こういう知的な映画もたまには良いものです。
感想
随所に散りばめられた宗教的モチーフ
本作の被害者は敬虔なキリスト教徒であり、かつ、物語の重要な部分では教会と神父も関与します。
また別の場面では大量の蛇が登場しますが、蛇は失楽園における原罪の象徴であると同時に、脱皮することから復活の象徴、罪からの許しの象徴ともされています。
一方、事件を捜査するロキ刑事は異教徒らしきモチーフをいくつも持っています。
まず注目すべきは役名。本作公開当時にはあまり馴染みがなかったのですが、2020年代には世界中のほとんどの人が『アベンジャーズ』シリーズを通して北欧神話の神の一人であると認識しています。
ロキは美しい顔を持つものの、邪悪で移り気。変身を得意とし、よく嘘をつくという、トリックスターの代表格です。
そして本作のロキは初登場場面でアジア系の店員に対して干支に詳しいところを見せ、指にはフリーメイソンの指輪。
フリーメイソンは世界最大の友愛組織なのですが、18世紀にローマ教皇クレメンス12世によって破門されたという歴史を持っています。破門は1983年に解かれたのですが、依然としてカトリックからは警戒されているようです。
可愛い娘のため、父は鬼になる
本作のプロットは非常に複雑なのですが、ストーリー自体は超シンプル。
田舎町で少女二人が誘拐され、時間が経てば経つほど生存可能性が下がっていくものだから、被害者のお父ちゃんが超焦るというものです。
お父ちゃんケラーを演じるのはヒュー・ジャックマンで、ヒューと言えばウルヴァリン。ウルヴァリンも一本気すぎていろいろと生き辛い人生を送ってきましたが、ケラーもまた一本気なところを見せつけます。
ケラーは敬虔なカトリック教徒であり、鹿狩りをしたり、家に食料備蓄をしたりといった行動を見ると、どうやら自力救済を信条としている様子。アジアで言えば上座部仏教的な発想ですね。
で、事情を知っていると思われる容疑者アレックス(ポール・ダノ)がすぐに釈放されてしまったものだから、「俺が動くしかねぇ」というわけでケラーはアレックスを拉致・監禁します。
ここでケラーは相手の顔が変形するくらいの暴行を加えるのですが、それでもアレックスは口を割らないし、でもこれ以上殴ると死ぬかもしれないしということで、今度は熱湯&冷水責めに切り替えます。
いくら娘の命がかかっているとはいえこれは完全にやりすぎだし、ここまでやって吐かないということは、本当に無関係であるという線も考えるべきなのですが、ケラーは「こいつが犯人に違いない」という己の直感を信じ続けます。
この辺りが、神だの悪魔だのを信じている人間の危険なところですね。一度信じてしまうと冷静な論理を踏み越えてしまうという。
まぁ、ここまで暴行してしまうと後には引けないという側面もありますが。さすがにこの状況で「無関係そうだから家に帰ってよし」なんてできませんから。
もはやケラーにはアレックス犯行説以外の可能性はなく、「やっぱ違くないか?」という疑念を振り払うかの如く暴力を振るうような危険なゾーンへと突入していきます。
ふと、これ以上暴行するのはヤバくないかと思う瞬間も訪れるのですが、すると「いかんいかん、そんな弱気では可愛い娘は帰って来ない」ということでアレックスに熱湯をかけに行く。もはや地獄です。
ここで興味深いのがもう一つの被害者家族の反応で、夫フランクリン(テレンス・ハワード)と妻ナンシー(ヴァイオラ・デイヴィス)からするとケラーは完全にやりすぎだし、冷静な彼らはアレックスは無関係かもしれないと思っています。何より警察がシロと判断したわけだし。
とはいえアレックス犯行説が完全に消えたわけではなく、自分たちが手を汚すわけでもないので、彼らはケラーを放っておこうという方針を立てます。もしケラーがアレックスを殺すところまで行っても、娘の命のためには仕方がないくらいに考えるわけです。
この辺りのズルさもよかったですね。かわいい娘の命がかかっていれば、親はいくらでも鬼になれるのです。
被害者家族との信頼関係を作り損ねた刑事ロキ
ではなぜケラーがここまで出来上がっちゃったのかというと、担当刑事であるロキ(ジェイク・ギレンホール)との信頼関係を構築できなかったことも大きいと思います。
ロキは事件解決率100%の腕利きで、地元警察としても最高の人材を送り込んだつもりなのですが、彼は仕事でイケイケ状態の人間特有のいやらしさを放っています。
基本姿勢からして「結果こそすべて」なので被害者家族の心情に寄り添う気がないし、癖なのか時折笑みを浮かべながら話すので、娘の生死がかかっている家族からすれば、この人に任せよう、この人の言うことを信じようとはならないわけです。
さらに、ロキはケラーに対してアレックスの拘留期間延長を約束するのですが、署長が勝手に釈放してしまったものだから、余計に不信感を増長させてしまいます。
ロキはロキで真面目に捜査しているし、腕利きらしく新事実も次々と発見していくのですが、被害者家族にはそれがまったく伝わらない。
この認識齟齬が何とも歯がゆいのですが、依頼人と受託者との間のこうした行き違いは、普通の仕事でもよく発生するものです。関係者にきちんと進捗報告しながら仕事を進めることは大事だという教訓が込められています。
被害者と加害者の同一化 ※ネタバレあり
終盤で明らかになる真犯人はアレックスの叔母ホリー(メリッサ・レオ)でした。
ホリーは夫共々敬虔なカトリック信者だったのですが、数十年前にかわいい一人息子を癌で失ったことから「この世には神も仏もいない」という境地に達し、他人の子供を誘拐するようになりました。
この、身内の不幸から神を呪いたくなる気持ちは一般にも理解できます。
よく映画で身内に不幸のあった家族に対し、神父や牧師が「神には何か目的があって、故人は天に召されたのです。時に神のみ心は人知を越えます」とか言う場面がありますが、もしもかわいいわが子が亡くなったタイミングであれを言われたら、私だって発狂すると思います。何だよ、神のみ心って。
で、ホリー曰く、一連の誘拐事件は「神への挑戦」なんだとか。
もし神がいるのであれば自分が行う悪魔の所業を止めるはずなのだが、こうして自分が何十年も逮捕されずにのうのうと過ごしている事実こそが、神の不存在を示しているだろという。
ケラーがいくら祈っても帰って来なかった娘を救い出したのは異教徒のロキ刑事だし、ケラー自身の命を救ったのも神ではなくロキだったことからも、神の不存在は明確です。
また、数十年前の誘拐被害者であるアレックスが本件の犯人だと疑われることや、そのアレックスに対して被害者家族が酷い暴行を加えることなど、「被害者と加害者の同一化」というテーマも繰り返し提示されます。
これもまた、正邪を明確に分けて考えるキリスト教的な価値観に対抗する形で、善悪のボーダーレス化を示しているといえます。
最後に、『プリズナーズ』というタイトルは法的な囚人を意味するのではなく、キリスト教的な「囚われ人」を意味しているものと思われます。
ホリー、アレックス、ケラーは皆、ホリーの実子に起こった不幸に端を発する因果に囚われていたのですが、その埒外にいる異教徒ロキがすべてを解決したというわけです。
≪ドゥニ・ヴィルヌーヴ関連作品≫
プリズナーズ_この酷い世界に神はいない【7点/10点満点中】
ボーダーライン_一流メンバーが作った『デルタフォース2』【8点/10点満点中】
ボーダーライン: ソルジャーズ・デイ_後半失速する【6点/10点満点中】
メッセージ_良質だが面白さはない【6点/10点満点中】
ブレードランナー2049_前作のドラマを否定した続編【5点/10点満点中】
【良作】DUNE/デューン 砂の惑星_素晴らしい映像美だが後半ダレる
コメント
セガール主演の沈黙の鎮魂歌のレビューして欲しいなぁ
コメントいただき、ありがとうございます。
今度見てみます。