(1997年 イギリス)
貧困層の実態が描かれる陰鬱なドラマであり、世代を超えて受け継がれていく不幸と貧困の連鎖が嫌というほど伝わってきます。全員が被害者なんだけど加害者でもあるというその構図に戦慄を覚えました。
あらすじ
労働者階級が住むサウスロンドン。アルコール依存症のレイモンド(レイ・ウィンストン)は、些細なことから妻ヴァレリー(キャシー・バーク)の浮気を疑って激しい暴力を振るい、妊娠中の彼女を流産させた。実家に戻ったヴァレリーを執拗に追いかけるレイモンドだが、復縁を拒まれるとアルコールへの依存度をより強めるのだった。
スタッフ・キャスト
監督・脚本はゲイリー・オールドマン
1958年ロンドン出身。
大学で演技を学んだ後に舞台俳優として活躍し、多くの賞を受賞しました。映画界への進出は1982年であり、アレックス・コックス監督の『シド・アンド・ナンシー』(1986年)でシド・ヴィシャス役を演じて注目されました。
その後しばらくはパッとしなかったのですが、オリバー・ストーン監督の『JFK』(1991年)で復調し、フランシス・フォード・コッポラ監督の『ドラキュラ』(1992年)に主演。
この2作のインパクトが強かったためか90年代には悪役専業となっており、『トゥルー・ロマンス』(1993年)、『レオン』(1994年)、『告発』(1995年)、『フィフス・エレメント』(1997年)、『エアフォース・ワン』(1997年)とあまりにも似たような役が連続したために、本人もうんざりしていました。
2005年からスタートした『ダークナイト』トリロジーでは一転して正義のゴードン本部長を演じており、悪も正義もどちらもイケる芸達者ぶりを披露。
同業者からの支持の強い俳優であり、特にブラッド・ピットは彼を神とまで呼んでいるのですが、そんな評価とは裏腹に賞とは無縁の状態が長く続きました。
『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』(2017年)でようやくアカデミー主演男優賞を受賞。
主演は『ブラック・ウィドウ』(2021年)のレイ・ウィンストン
1957年ロンドン出身。
11歳からボクシングを始め、アマチュアの大会では何度も優勝しているという私生活通りの強面俳優ですが、俳優としてはパッとしない状況が長く続いていました。
転機となったのは40歳の時に出演した本作であり、ここでのDV親父役で全世界に名を轟かせて以降は、主に強面親父役でおびただしい数の映画に出演しました。
アンソニー・ミンゲラ監督の『コールド・マウンテン』(2003年)辺りから大作でも見る顔になり、以降は『ディパーテッド』(2006年)、『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(2008年)、『復讐捜査線』(2008年)、『ノア 約束の舟』(2014年)などに、たいていの場合悪役として出演。
直近作はMCUの『ブラック・ウィドウ』(2021年)であり、ドレイコフ役を演じます。
作品概要
ゲイリー・オールドマンの初監督作品
本作は名優ゲイリー・オールドマンの初監督作です。
オールドマンはこの製作費を稼ぐために気乗りのしないハリウッド大作に出演し(『エアフォース・ワン』とか…)、またリュック・ベッソンに本作の資金繰りの手伝いをしてもらうこととの交換条件で『フィフス・エレメント』(1997年)に出演しました。
「父に捧げる」というエンドクレジットが示す通り、本作は半ばオールドマンのプライベートフィルムです。オールドマンは実姉を出演者として起用し、またエンディングで披露される歌唱は実母の歌声を録音したものを使用しています。
溶接工だった父はアルコール依存症であり、オールドマンが7歳の頃に家族を捨てて出ていきました。青年期のオールドマンは父を激しく憎んだと言います。
その後、オールドマンは奨学金を勝ち取って演技を学び、同業者から尊敬される俳優にまで登り詰めましたが、私生活ではアルコール依存症を患い、離婚歴も重なっていました。
たまたま俳優としての才能があったおかげで社会的な成功こそ掴んだものの、個人としてはあれだけ憎んできた父と大差のない存在となっていたのです。
そんなオールドマンを救ったのは、意外なことにデミ・ムーアでした。二人は時代劇『スカーレット・レター』(1995年)で共演したのですが、公にはアルコール依存症を隠していたオールドマンの本性をデミは見抜き、現在の生活をやめるよう忠告したのでした。
デミ・ムーアもオールドマンに負けず劣らずの訳アリ家庭で育ち、自身も複数回の離婚歴を抱えていたことから、彼の問題を即座に理解できたのでしょう。
こうしてアルコール断ちに成功したオールドマンは、自分自身や家族と向き合って本作を製作したのでした。
多数の受賞歴
本作は1997年5月のカンヌ国際映画祭で初披露され、パルム・ドールにノミネート。またヴァレリー役のキャシー・バークが女優賞を受賞しました。
その年の英国アカデミー賞ではレイ・ウィンストンとキャシー・バークがそれぞれ演技部門でノミネートされ(どちらも受賞には至らず)、ゲイリー・オールドマンが脚本賞を受賞。作品自体も英国作品賞を受賞しました。
ここで英国アカデミー賞のややこしい仕組みに触れておきます。英国アカデミー賞には作品賞にあたる部門が2つ設定されています。作品賞と英国作品賞(別名アレクサンダー・コルダ賞)です。
このうち年間最高の映画に送られるのが作品賞であり、1997年には『フル・モンティ』(1997年)が受賞しました。
他方、英国作品賞とは文字通り英国作品に絞った部門であり、本作が受賞したのはこちらでした。
登場人物
- レイモンド(レイ・ウィンストン):酒やドラッグばかりやっている暴力亭主
- ヴァレリー(キャシー・バーク):レイモンドの妻。レイモンドとの間には8歳の娘がおり、二人目の子供を妊娠中。
- ビリー(チャーリー・クリード=マイルズ):ヴァレリーの弟。重度のヤク中で定職も住処も持っておらず、実家やレイモンドを頼りにして生きている。
- ジャネット(ライラ・モース):ヴァレリーとビリーの母。娘婿であるレイモンドを嫌っている。演じるライラ・モースはゲイリー・オールドマンの実姉。
- マーク(ジェイミー・フォアマン):レイモンドの友人でいつも一緒に飲み歩いている。
感想
タイトルは「飲食禁止」の意味
タイトルの「ニル・バイ・マウス」とは飲食禁止という意味で、主に病院などで用いられます。
この風変わりなタイトルの意味は作品中盤で明かされるのですが、昔、主人公レイモンド(レイ・ウィンストン)の父が大怪我を負って病院に担ぎ込まれた際に、ベッドには「ニル・バイ・マウス」のカードがかけられていました。
レイモンドの父は酒を飲んでは暴力を振るい、家庭を貧困状態に置いていたどうしようもない男で、少年期のレイモンドは父を憎んでいました。
しかし大怪我を負って「ニル・バイ・マウス」のカードをかけられた父の姿を見た時、レイモンドは自分自身が父に対して抱く愛情を認識しました。
このエピソードより、風変わりなタイトルは親子間の愛憎関係を示したものであることが分かります。
DV親父の生態
そのレイモンドが成長後にどうなったかというと、父とまったく同じ轍を踏んでいました。
序盤ではレイモンドが義弟のビリー(チャーリー・クリード=マイルズ)、友人のマーク(ジェイミー・フォアマン)と共に夜の街を飲み歩くさまが延々と映し出されるのですが、酒をガバガバと飲み、ストリップではしゃぎ、ゲーセンで盛り上がり、道端で気に食わない奴を見かけると殴りかかり、もう滅茶苦茶です。
10代のヤンキーならともかく、これが中年のおじさんがやるようなことかと。
日中にも働きに出ている様子はなく、家でも酒とドラッグ漬け。隠し持っていたドラッグを義弟ビリーがくすねると烈火の如く怒り、その鼻っ柱に噛みついて深い傷を負わせます。
ある夜、妻のヴァレリー(キャシー・バーク)が見知らぬ男とビリヤードをしている様を見かけたレイモンドは、妻の浮気を疑って顔の形が変わるほど殴り蹴ります。
ここでのレイモンドの描写が異様にリアルでいや~な気分にさせられました。
ビリヤードを目撃した時点では、機嫌を悪くして「もう帰るぞ!」と言ってはいるものの、妻を殴りつけるほどは激昂していません。
しかしその後にどんどん被害妄想が膨らんでいき、夜も寝付けずヴァレリーに「さっきのあれ、何だったんだよ?」と問いかけます。
ヴァレリーが「えーと何だっけ?ただの知り合いよ」なんて軽い感じで答えているうちに徐々に火が点いていき、「浮気してんだろ!ウソつくな!」と怒りが収まらなくなっていきます。そして最後には暴力。
自分の発した言葉でどんどん拍車がかかっていく感じが怖かったし、リアルでもありました。DV男ってあんな感じだよなぁと。
そしてヴァレリーは夫の暴力のために流産したこともあって、一人娘を連れて実家へと避難します。
するとレイモンドは「ヴァレリーと話をさせろ!」と言って妻の実家にまで押しかけるのですが、女性だけの世帯を守るために知人男性がボディガードとして付いており、無理矢理ヴァレリーに迫ろうとしたレイモンドはその男に殴られます。
そしてたった一発殴られただけで倒れ、動かなくなるレイモンド。
レイモンドも腕っぷしには自信があったのですが、ファーストコンタクトの時点で相手の方が上であることを認識し、戦意喪失してしまったわけです。それまでの狂犬ぶりを思うと実にダサダサな顛末ですが、ヤンキー上がりの喧嘩とは往々にしてあんなものです。
それからというもの、一人になったレイモンドは家に引きこもって酒を飲み、「こんなに愛しているのに~」と言ってメソメソと泣きます。
呆れるしかない実態がそこにあります。
間違った形で発揮される母性
そんなクソみたいな男に振り回される女性達は一見するとたくましい肝っ玉母さんのようなのですが、こちらはこちらで別の問題を抱えています。
舞台変わってヴァレリーの実家のエピソード。
レイモンドに追い出され、行くあてのなくなったダニーは実家に戻り、母ジャネット(ライラ・モース)に金の無心をします。
重度のヤク中であるダニーはヤクを買う金を求めており、その目的を隠す気もないのですが、ジャネットはそんな息子に金を与えてしまいます。
それどころか売人のところにまでダニーを送っていき、母が運転する車の後部座席で息子がヤクを打っているという異様な光景が出現します。
母の優しさってこういうことじゃないよなぁと。
ヴァレリーも同じくで、あれほど酷くレイモンドに殴られ、流産までさせられたにも関わらず、結局レイモンドを許して元さやに戻ってしまいます。「こんなに愛してるのに~」とメソメソしているレイモンドが可哀そうになってしまったのです。
映画はレイモンド、ヴァレリー、ジャネットが明るく談笑する場面で締め括られるのですが、その場の誰一人として何も学んでおらず、状況は一切改善しておらず、少し経てばまた別の修羅場が始まるんだろうなということで、画面に映っている和やかな光景とは裏腹に、実に嫌な気分にさせられる終わり方をします。
貧困と不幸の再生産
本作で描かれるのは終わることのない貧困と不幸の再生産です。
ろくでなしの父親に育てられたレイモンドやダニーは父を憎んでいるのですが、自身も父と同じ存在になってしまいます。
女性達は一義的にはろくでなしの夫や息子の犠牲者なのですが、彼女たちもまた問題のある夫を見切ったり、息子を正しく導いたりしないため、不幸を生み出す歯車の一つとなっています。
こうして各自はなりたくなかった存在になっていき、次の世代にも同じ問題が残留し続けるという負のサイクルが続きます。
英語ネイティブでなければ伝わらない映画
そんなわけで意義深い作品ではあるのですが、映画として面白く感じたかと言われると、決してそうでもありませんでした。
特に前半部分は説明的なセリフもなく、ひたすらに貧困層の日常の光景が切り取られるのみなので展開が遅くて退屈させられました。
基本的に本作は会話劇なんだろうと思います。本編に関係あることないことが登場人物達の口から次々と発せられ、その会話こそが見せ場という作品なのでしょうが、それって文化や言語が異なるとなかなか伝わりづらいものです。
本作ではFワードが都合428回も使われており、当時としては映画史上最多記録でした。2年後、スパイク・リー監督の『サマー・オブ・サム』(1999年)に回数でこそ抜かれたものの、1分当たりの回数では2020年現在まで映画史上最多となっています。
加えて女性器を意味するワードが82回も登場し、これもこれで異様なほどの回数でした。
こうした定量的な情報より、観客が引くくらいの下品な言葉の応酬戦こそが本作の特色だったのだろうと思うのですが、当然のことながら日本語訳にあたってこれらの言葉が正確に翻訳されることはなく、表現は相当マイルドになっています。翻訳は『フルメタル・ジャケット』(1987年)を降板させられた過去を持つ戸田奈津子さんなので尚更です。
その結果、本作の一番尖っていた部分が伝わらない状況が発生。この映画は英語ネイティブでなければ難しいようです。
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