ザ・フラッシュ(2023年)_マルチバースの正しい使い方【9点/10点満点中】(ネタバレなし・感想・解説)

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DCコミック
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(2023年 アメリカ)
高い前評判を上回るほどの面白さだった。スリルと笑いと涙の組み合わせ方は抜群で「これぞコミック映画!」と言う感じだし、マルチバース設定を活かして思わぬキャラを復活させられるものだから、中年ファンは歓喜の涙を流す。30年以上DC映画見てきて本当に良かった。

感想

スリルと笑いと涙の見事な配合

ポスプロが新型コロナの世界的流行に巻き込まれるなど不安定な状況で製作される一方、試写の時点より『ダークナイト(2008年)以来といわれる高評価が漏れ聞こえていた本作。

私は公開を心待ちにしていたのだが、新型コロナ下でワーナーが公開した『TENET/テネット』(2020年)『デューン/砂の惑星』(2021年)の苦戦が影響してか、本作の公開時期はどんどん後ろ倒しにされていった。

さらには主演のエズラ・ミラーが警察のご厄介になるという泣きっ面に蜂どころではない事態まで発生して紆余曲折ありすぎたのだが、幾多の苦難を乗り越えて2023年6月16日にようやっと全世界同時公開に漕ぎつけた。

私は公開日の翌日にIMAXスクリーンに駆け付けたが、パンパンに膨らんだ期待を全く裏切らないどころか、一部には期待を越えてくるところもあって、物凄く楽しめた。

ここ最近はアメコミ映画疲れを起こしていたが、本作は本当に久しぶりのヒット。

冒頭、犯罪者に襲われて崩壊寸前の病院のレスキューにフラッシュが駆け付ける。ただし主体的に人助けをしているのではなく、バットマンは犯罪者を追跡しているので、フラッシュは現場の後始末を頼むという依頼を受けての渋々の参加なのだが。

この経緯の時点でひと笑いあるし、エズラ・ミラーの芸達者ぶりもあって、庶民派ヒーロー フラッシュへの愛着がわいてくる。

見せ場は迫力に満ちているし、ここでフラッシュの能力が描写されるので、初見の観客に対する紹介としてもバッチリ機能している。

客演であるベン・アフレック扮するバットマンと、ガル・ガドット扮するワンダーウーマンの登場タイミングも素晴らしいし、各自においしい場面も与えられていて、キャラクター劇としては絶好調である。

フラッシュ=バリーはお調子者的性格ではあるのだが、父は10年前に母を殺したとの嫌疑をかけられ服役中であり、明日に控訴審を控えている。

そしてバリーはバットマン=ブルース・ウェインの富と権力を拝借して父の潔白を証明するための証拠を探しているのだけど、やはり決定的なものは見つからない。

ここでいきなり湿っぽい話をぶっこんでくるのだが、明るい序盤の空気との間でそこまでの違和感を感じないのは、エズラ・ミラーの演技力あってことのことだろう。

ちょうどその時、バリーは光速を突破すると時空を越えられるということに気づき、過去にさかのぼって母が死なないようにすることを考える。

目論見通り、母の死と父の冤罪という悲劇は免れたが、それ以外で看過できぬ影響が発生するのはSF映画の常。

歴史を変えた当事者であるバリーと、母が生きている世界線の住人であるバリー(エズラ・ミラーの一人二役)でこんがらがった歴史に立ち向かうというのが、本作の骨子。

後述の通り、起こることは割と深刻なんだけど、バリーvsバリーのやり取りが面白いので、やはり湿っぽくなりすぎていない。このバランスが絶妙だった。

マルチバースの正しい使い方

マルチバースの世界線上で、様々な可能性の自分と共闘するという話はここ最近のアメコミ映画のトレンドであり、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(2021年)『ドクター・ストレンジ2』(2022年)などがあったけど、作り手にとって都合の良すぎる概念なので、私はあまり評価してこなかった。

世界中の観客も私と同じ意見のようで、MCUのマルチバースサーガの評判は悪く、観客動員数は絶賛右肩下がり中だ。

なんだけど、本作はマルチバースという概念を実に理想的に扱っている。

劇中で『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)のタイトルが連呼される通り、本作はアメコミものというよりもSFものとして構築されており、「当たり前だったあれがこの世界にはない!」ということが面白さにつながっているのだ。

MCUのマルチバースは「あれもこれも」という足し算の使い方だったが、一方本作では引き算的に使われており、主人公の冒険にとっての制約条件として機能している。

オリジナルのバリーはジャスティス・リーグの面々を頼ることを考えるのだが、この世界線上ではアクアマン=アーサー・カリーは産まれていないし、ワンダーウーマン=ダイアナは人間社会に来ていない。

サイボーグ=ビクター・ストーンは事故に遭わずアメフトの花形選手として活躍しているし、どういうわけだかスーパーマン=クラーク・ケントもいないようだ。

そんなないないづくしの状態で、ゾッド将軍(マイケル・シャノン)だけは式次第通りにやってくる。『マン・オブ・スティール』(2012年)で描かれたとおり、ゾッドは人類を滅ぼしにやってきていることをバリーは知っているので、これは何とか止めなきゃいけない。

しかしフラッシュ一人で何とかなる相手ではないので、この世界でも唯一存在しているらしいバットマン=ブルース・ウェインを頼りに行く。

ただしここで姿を現すのがベン・アフレックではなくマイケル・キートンなので、死ぬほど笑った。ご存じの通り、マイケル・キートンは『バットマン』(1989年)のバットマン=ブルース・ウェインであり、二作演じただけで降板した。

そしてキートンがゲスト出演程度かと思いきや、フラッシュに次ぐ重要キャラクターとして本編にガッツリ絡んでくるので、私のような中年にとっては夢のようだった。

ダニー・エルフマンによる懐かしのテーマ曲が高らかに流れ、1989年当時には不可能だったであろう大掛かりな見せ場によって、キートン・バットマンの活躍が彩られる。新旧の理想的な出会いがここに実現したのだ。

また、終盤においてはマルチバース上で様々な可能性が提示されるのだが、その中には見慣れないロン毛のスーパーマンが登場する。

若い人にはなんのこっちゃわからんかっただろうが、あれは1990年代後半頃に企画されていた幻のティム・バートン監督のスーパーマンである。

当時大スターだったニコラス・ケイジが主演の予定で製作はかなり進んでいたものの、膨大な予算が計上された時点で流れたと言われている。

私のような中年の映画ファンにはわかるネタだが、まさかあんなものまで登場するとは思わなかったので、びっくりこいた。

そしてクライマックスにはさらに大きな衝撃が走る。長らくDCとの関係性を断ってきた人物の電撃復帰に映画館が震えた。

こうした遊びにあふれたマルチバースなら大歓迎だ。

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